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連載・特集

サミットを終えた夏~首脳はヒロシマを見たか <5> 韓国大統領の初訪問

「二重の苦しみ」いたわる

半島出身被爆者ら「核廃絶を」

 広島市での先進7カ国首脳会議(G7サミット)最終日の5月21日。ウクライナのゼレンスキー大統領の電撃出席に世界の注目が集まる中、歴史的なシーンはほかにもあった。韓国の現職大統領として初めて尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が平和記念公園(中区)の韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪れ、犠牲者を追悼した。

 尹大統領夫妻は岸田文雄首相夫妻と共に献花し、10秒ほど黙とうした。在日韓国人被爆者、2世たち10人が立ち会った。首脳たちと言葉を交わすことはなかったが、「感無量でした。われわれは国がないわ、被爆しとるわで苦労してきたから」。被爆者の姜日奉(カン・イルボン)さん(86)=東区=は喜ぶ。

 両親が朝鮮半島出身という姜さんは、8歳の時に爆心地から2・1キロの荒神町(現南区)で被爆した。うじが湧いた死体、焼け野原となった市街地…。当時の惨状を脳裏に刻む。

国籍による差別

 戦後の暮らしも苦労続きだった。夜間中学、高校に通いながら働いたが、国籍による差別を受け、仕事を転々とせざるを得なかった。被爆者、在日韓国人として「二重の苦しみ」を味わい、「食べていくのに必死だった」と振り返る。

 尹大統領が広島入りした19日には、在日韓国人被爆者や2世、在日本大韓民国民団(民団)広島県地方本部の関係者たち約20人が30分ほど面会した。拍手で迎え、代表者たちは歓迎の言葉を重ねた。「同胞の皆さんが国外で苦難と苦痛に直面しているのに、政府が皆さんに寄り添っていなかった」とわびる尹大統領の言葉にうなずいたり涙ぐんだりしながら聞き入ったという。

 日本の植民地下で徴用・徴兵や生活困窮などで海を渡り、広島や長崎で原爆の犠牲となった朝鮮半島出身者の被害の実態はいまだ明らかになっていない。広島原爆の死者は「5千~8千人」「3万人」との推計がある。太平洋戦争後に祖国に帰った在韓被爆者は長く援護の枠外に置かれた。

 サミットの拡大会合に招かれる形で実現した初の韓国大統領の広島訪問は韓国人被爆者たちをいたわる意義があった。尹大統領は21日に他の招待国首脳たちと原爆資料館を見学し、原爆慰霊碑にも献花した。

「核の傘」に依存

 ただ韓国は、核・ミサイル開発を続ける北朝鮮の脅威から米国の「核の傘」への依存を強めている。今月18日に核ミサイルを搭載可能な米軍の戦略原子力潜水艦が釜山に入港。米韓は核戦略を定期的に話し合う核協議グループ(NCG)初会合をソウルで開いた。

 「苦難を強いられた多くの被爆者がいる日韓両国が力を合わせ、核兵器のない世界をつくってほしい」。尹大統領と面会した被爆2世で韓国原爆被害者対策特別委員会の権俊五(クォン・ジュノ)委員長(74)=西区=は訴える。2カ月前、両国首脳が訪れた慰霊碑の傍らの石碑にはこう刻む。「悲惨を強いられた同胞の霊を安らげ 原爆の惨事を二度と くり返えさないことを希求」(小林可奈)

(2023年7月25日朝刊掲載)

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