原爆の悲劇 体験伝える 観音高で被爆者山本さん
23年7月25日
原爆の日を前に広島市西区の観音高で24日、被爆者で当時、前身の旧制広島二中2年生だった山本定男さん(92)=東区=の講話を聞く会があった。1年生約280人を前に、山本さんは「核兵器をなくすのは簡単ではないが、将来を担う皆さんが世界に訴え続けてほしい」と呼びかけた。
山本さんはイモ畑で草取りをするため広島駅北側の東練兵場に集合していた時、同級生とともに被爆。爆心地から約2・5キロで、「巨大な火炎が湧き上がり、顔の半分をやけどしながら次の爆弾を恐れて山に逃げた」とあの日の記憶をたどった。爆心地から約500メートルの地点に建物疎開で動員された1年生約320人が全滅した悲劇を語り、焼け焦げた衣服や弁当箱の写真を見せながら無念さをにじませた。
正光夢乃さん(15)は「子どもたちが戦争のために働き、命を落としたことに心が痛む。山本さんの体験を語り継ぎたい」と胸に刻んでいた。山本さんは2010年から同校の生徒に被爆証言を続け、新型コロナウイルス禍での中止を経て4年ぶりに再開した。(向井千夏)
(2023年7月25日朝刊掲載)
山本さんはイモ畑で草取りをするため広島駅北側の東練兵場に集合していた時、同級生とともに被爆。爆心地から約2・5キロで、「巨大な火炎が湧き上がり、顔の半分をやけどしながら次の爆弾を恐れて山に逃げた」とあの日の記憶をたどった。爆心地から約500メートルの地点に建物疎開で動員された1年生約320人が全滅した悲劇を語り、焼け焦げた衣服や弁当箱の写真を見せながら無念さをにじませた。
正光夢乃さん(15)は「子どもたちが戦争のために働き、命を落としたことに心が痛む。山本さんの体験を語り継ぎたい」と胸に刻んでいた。山本さんは2010年から同校の生徒に被爆証言を続け、新型コロナウイルス禍での中止を経て4年ぶりに再開した。(向井千夏)
(2023年7月25日朝刊掲載)