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連載・特集

サミットを終えた夏~首脳はヒロシマを見たか <6> 米大統領の再訪

核なき世界 折り鶴に込め

「未来志向」に複雑な被爆者も

 ガラスケースの中に赤地や青の模様入りの2羽の折り鶴がいた。25日、平和記念公園(広島市中区)の広島国際会議場で始まった先進7カ国首脳会議(G7サミット)の回想展。米国のホワイトハウスで折られ、バイデン大統領が原爆資料館に携えて残した、サミットのレガシー(遺産)の一つとして紹介されている。

禎子さんの願い

 7年前に現職の米大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏も、折り鶴4羽を持参した。資料館東館では被爆10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんの折り鶴を見たといい「なんと美しいことか」と側近に語っている。米側は今回、詳細を明かしていないが、2人の大統領の折り鶴には、広島の少女の物語への共感と「核兵器なき世界」へのメッセージがにじむ。

 禎子さんは2歳の時、爆心地から約1・6キロの楠木町(現西区)の自宅で被爆した。成長し、幟町小(現中区)に入学。同級生だった三登映雄さん(80)=中区=は「活発な子だった。特に足が速く僕も負けることがあった」。運動会のリレー選手として一緒に練習した当時を懐かしむ。

 その快活な少女は6年生の時に白血病を発症。入院中、回復を願いながら鶴を折り続けた。見舞うと、「1羽折れば命が1日延びると笑って話していた」と三登さん。原爆投下国の大統領が折り鶴を持参した心境について「平和を願うのは誰もが一緒。大統領の気持ちの強さがあったのでは」と推し量る。

 米側はサミットを機に、旧日本軍の真珠湾攻撃を伝えるパールハーバー国立記念公園と、平和記念公園の姉妹協定を広島市に打診。6月29日に米国大使館(東京)であった調印式で、エマニュエル駐日大使は「かつて対立の場であった両公園は今では和解の場となった」と強調した。被爆地との関係を「未来志向」で築こうとしているように映る。

「消えぬ憎しみ」

 こうした姿勢に複雑な感情を抱く被爆者もいる。元原爆資料館長の畑口実さん(77)=廿日市市=は母親のおなかの中で原爆に遭い、父親は被爆死した。米国との和解や友好といった言葉に、「できれば自分もそうしたい。けれども憎しみは消え去ろうとしない」と吐露する。

 2人の米国大統領は広島訪問時、無差別に市民を殺りくした原爆投下を謝罪しなかった。核攻撃を指令する通信機器などが入った「核のフットボール」を平和記念公園に持ち込んだとみられ、核戦力に固執する姿勢は変わらない。

 畑口さんは「一生続く、目に見えない放射線への恐怖や不安、それを言えない苦しみ」こそ他の空襲被害と異なる「被爆の実相」と指摘する。「サダコの折り鶴」は、こうした恐怖の中から生まれた少女の忘れ形見であり、核兵器の非人道性の証しだ。

 サミットを終え、首脳たちに問い続けたい。ヒロシマを見たのか、と。(太田香) =おわり

オバマ米大統領の広島訪問
 オバマ氏は2016年5月27日、現職の米大統領として初めて広島市を訪れ、平和記念公園(中区)に52分間滞在した。原爆資料館東館1階に特設された犠牲者の遺品などを見学した後、原爆慰霊碑に献花。碑前に約100人(うち被爆者10人)を招待して17分間演説し、「核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない」と訴えた。演説後、当時の日本被団協代表委員で広島県被団協理事長の故坪井直さんと、被爆米兵を調査してきた森重昭さんに歩み寄り、言葉を交わした。

(2023年7月26日朝刊掲載)

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