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連載・特集

自利利他 我も他も全て良し 梵大英 <16> 蟬の声

原爆の日 静寂とともに

 厳しい暑さが連日続く。お参りの最中にも汗が流れ落ちる。外では蟬(せみ)がけたたましく鳴いている。

 蟬の声を聞くたび、8月6日の原爆の日を思う。毎年、午前8時15分の合掌の間、静寂の中に響き渡っているからだろうか。あの日の惨状を決して忘れないように、との警鐘のようにも聞こえる。

 ウクライナ情勢は相変わらず終結が見通せない。交流サイト(SNS)での発信を通じて、リアルタイムに現地のさまざまな情報が入ってくる。

 私自身も日頃からツイッターやフェイスブックをチェックしている。スマートフォンやパソコンを開けば情報が波のように押し寄せてくる。ウクライナを支援する国々とロシアの間で、情報戦が繰り広げられているという指摘もある。全ての情報をうのみにするのではなく、自分自身で取捨選択しなければいけないのだと肝に銘じている。

 いずれにしても、市民を巻き込んだ激しい戦闘が続く。失われている命があり、日常の生活を奪われている人がいることは間違いない。

 当事国であるロシアの文豪トルストイが書いた「戦争と平和」。大学生の頃に初めて読み、愛読書の一つになった。

 ロシアとフランスのナポレオンとの戦争が題材で、戦禍で生じる憎しみや深い悲しみに引き込まれる。そんな中で描かれた、人々のささやかな日常や慈しみの姿もまた心に残る。作中でトルストイは、戦争とは「人生における最大の醜悪事だ」と記している。

 もちろんお釈迦(しゃか)様も、争い合う愚かさを説いている。「全ての者は暴力におびえる。全ての生き物にとって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべ、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」。「己が身にひきくらべ」は、暴力によっておびえる側に自分の身を置く、という意味だ。

 私たち仏教徒にとって一番大切なルールは「生命を傷つけてはならない。生命を奪ってはならない」という「不殺生」の教えだ。相手の立場に立ち、他人を思いやる気持ちがあれば、そのルールが破られることはないはずだ。

 胸の前で両手を合わせる合掌の姿は一説によると、「手に武器を持っていない」ことを示すポーズが起源だといわれる。仏教徒は2千年以上にわたり、合掌の姿を通じて平和を説いているのだ。

 今年も8月6日が近づいてきた。響き渡る蟬の声の中で、心静かに過ごそう。(専法寺副住職=三次市)

(2023年7月31日朝刊掲載)

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