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社説・コラム

対論 「姉妹公園」締結を考える

 広島市の平和記念公園と米ハワイ州のパールハーバー国立記念公園の姉妹公園協定が結ばれた。日本の真珠湾(パールハーバー)攻撃と米国の原爆投下を同列に考えることへの異論の一方で、未来志向の平和交流への好機だと期待する声もある。2人の識者から本紙に意見が寄せられた。

広島大特別招聘(しょうへい)教授・広島テレビ顧問 三山秀昭

協定を機に交流の深化を

 私は特定のテーマで考えをまとめる際、まずファクト(事実関係)をチェックする。姉妹公園の協定問題でもファクトを整理した。

 ①2016年5月、オバマ米大統領が広島訪問②同年12月、安倍晋三首相が真珠湾で慰霊③相互訪問を受け、ホノルル広島県人会が17年に平和記念公園とパールハーバー国立記念公園の姉妹協定締結を提案④広島市は「時間をかけて検討」(松井一実市長)と判断を留保⑤同県人会が米政府(真珠湾公園は国立公園のため)に働きかけ、今年4月に米政府から市に再提案⑥市はサミットで各国首脳の資料館視察など被爆の実相に触れたことを「従来唱えてきた『迎える平和』が前進した」(市長)と評価し、協定締結に応じた⑦ハワイ生まれのオバマ元大統領が歓迎のメッセージを寄せた。以上が、私の知る経緯だ。

 平岡敬・元市長は中国新聞のインタビューで「(原爆と真珠湾攻撃を)並列に置いたり、被害を相殺して捉えたりしてはならない」と批判した。一方、広島県被団協の箕牧(みまき)智之理事長は同紙の記事で「後年に協定を結んでよかったとなるよう願う」と前向きに受け止めている。

 私は毎月1回、「ニュースの読み解き方」という講座の司会役を務める。社会人が対象で議論を重視し、受講生は約10人に絞っている。7月講座は公園協定問題がテーマで、中国新聞の記事を基に意見交換した。「協定は唐突」「なぜ今なのか」「米国から言われたからか」「市民の議論が不足」といぶかる声が出た。

 逆に「平和を口にするだけでなく行動が必要」「議論不足、というが行政の決断も重要」との指摘もあった。「何回かハワイへ行ったが真珠湾を訪れていないことを恥じる」「修学旅行はハワイだったが真珠湾は行程に入っていなかった」と体験を語る人もいた。

 実はオバマ氏の広島訪問の前年、米国務省から外務省に「安倍首相の真珠湾訪問を先行してもらえると、大統領が広島を訪問しやすい」と提案があり、安倍首相が拒否した経緯はあまり知られていない。「真珠湾攻撃は戦略的な軍(施設)の目標地であり、(中略)広島は無差別攻撃」(安倍晋三回顧録)との考え方だ。ただ安倍首相もオバマ訪問後に真珠湾を訪れ、「和解の象徴」と訴えた。広島と真珠湾はセットだった。岸田文雄首相は8、9、11月に訪米を予定する。真珠湾に立ち寄り、慰霊の献花をしてはどうか。

 8月6日の平和記念式典には姉妹協定提案者のホノルル広島県人会のウェイン・ミヤオ会長も参列する。ホノルルと広島市は既に姉妹都市だが、実態は広島の「入超」だ。ハワイからの来広者は必ず平和記念公園を訪れるが、逆は少ない。ハワイへの日本人旅行客の1割も真珠湾を訪れていない。

 もはや公園協定の是非を論じる次元は過ぎ、行動が求められているのではないか。経済人の交流や修学旅行でハワイへ行くなら、日程に真珠湾を含めてはどうだろう。現地の若者と未来志向の交流も悪くない。

 再度、ファクトを紹介したい。かつて米国人にとって「パールハーバー」は日本軍の「卑怯(ひきょう)な奇襲攻撃」の象徴であり、撃沈された戦艦「アリゾナ」はその記憶を残す遺産だった。しかし1999年には真珠湾に退役戦艦「ミズーリ」が係留された。78年前、日米が終戦の文書に調印したのが東京湾上の「ミズーリ」の甲板だった。米政府が両艦の係留を「戦争の始まりと終わり」の象徴とすることで、「卑怯」の印象を薄めようとしていることも知ろう。

 アリゾナ記念館には既に佐々木禎子さんの折り鶴が展示されている。2020年には「原爆展」も「ミズーリ」で開催された。今回の姉妹公園協定を機に広島とハワイが「平和の交流」を磨き合い、量的に拡大し、質的に深化することを望みたい。

みやま・ひであき
 1946年富山県生まれ。読売新聞ワシントン特派員、政治部長などを経て2011年広島テレビ社長。会長を経て現顧問。23年広島大特別招聘教授。

ANT-Hiroshima理事長 渡部朋子

平和都市の在り方も問う

 最初に話を聞き、えっと思った。なぜ日米政府はこの動きを進め、広島市は受け入れたのか。なぜここまで急ぐのか。さまざまな疑問が湧いてきた。

 姉妹公園協定は6月22日に市から発表された。市民から見れば唐突だ。29日に広島市長が東京の米国大使館にわざわざ出向いて調印したが、そのやり方も首をかしげる。公園と公園との協定なら本来、市民も交えたしかるべきセレモニーを開いてもいい。市議会にも簡単な説明があっただけと聞く。きちんとした議論があったとは思えない。

 ふと思い出したのは1956年に原爆資料館で開かれた原子力平和利用博覧会のことだ。被爆者も含め、地元はもろ手を挙げて歓迎した。結果として核を強く拒絶するそれまでの流れが変えられ、日本が原発を受け入れた。そして起きたのが福島第1原発の事故だ。

 そうした歴史も踏まえながら、この協定の意味を、ずっと考え続けている。

 パールハーバー国立記念公園には、私も行ったことがある。巨大な基地と一体化しているように見えた。アリゾナ号やミズーリ号が展示され、戦争資料館であるアリゾナ記念館がある。そこでは亡くなった兵士が国の誇りとして慰霊され、「戦争の文化」を体感する場所である。

 広島の平和記念公園はどうか。目的は核兵器廃絶のためであり、地下には原爆で壊滅した街が眠る。原爆供養塔には、いまだ7万柱の市民の遺骨が残る。平和の灯(ともしび)は核兵器がなくなった時に、ようやく消える。国ではなく「人類益」のために、この公園はある。常に死者と対話しながら世界の在り方を考え、今を生きる私たちと未来の子どもたちがどう行動すればいいか、教えてくれる場所だ。

 原爆慰霊碑前では暑い日も寒い日も、核実験に抗議する被爆者や市民の座り込みが行われてきた。培われたのは核兵器も戦争も許さない、非暴力の思想だ。

 パールハーバーの公園と比べると、いま姉妹縁組までする相手なのかと思ってしまう。核兵器は必要だと思う場所と、いらないと訴える場所。広島市は「未来志向で平和と和解の架け橋の役割を果たす」と説明するが、和解とは何なのか。そのためには米国が原爆投下を過ちと認めることが、やはり必要ではないか。

 しかも今回の協定は、アリゾナ記念館と原爆資料館の相互交流が含まれるように読める。仮に真珠湾攻撃に関する資料が貸与されたとすれば、どのような展示にするのだろう。

 もちろん米国の人たちはこれからの世界を一緒に考える大切な相手だ。第2次世界大戦が起きた時、お互いに偏見に満ちたプロパガンダを繰り広げた。だからこそ相互交流をしながら理解を深めることは全く問題ない。これまでもハワイとの交流を丁寧に続けてきた市民団体は幾つもある。

 市民の発意で友好を深めることができれば和解への一歩であり、本当の意味で未来志向になると思う。ただ国と国が主導して、十分な情報を市民に知らせないまま調印した今回の協定はそれとは意味が違う。

 ここで忘れたくないのは広島の市民に突きつけられた問題でもあることだ。

 協定期間は5年。更新するかどうか判断する前に、私たち自身でよく考えなければならない。公園を中心に平和の思想をどのように発信するか、を。私と違う考えの人も当然いる。議論し、対話を重ねて市民総意で決めればいい。パールハーバーへも広島からもっと多くの人が行くべきだ。

 その議論は戦後78年の歩みを思い返し、平和都市としての在り方を問い直すことにもなる。外国人観光客でにぎわう公園の位置付けを、市民でもう一度、考えるべきではないだろうか。単なる観光名所なら、そのうち世界から人が来なくなるだろう。この協定を機に原点を見つめ直し、再定義しておく必要がある。

わたなべ・ともこ
 1953年広島市中区生まれ。NPO法人のANT―Hiroshimaの設立者で被爆地から多彩な平和発信を続ける。22年谷本清平和賞。

(2023年7月29日朝刊掲載)

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