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連載・特集

緑地帯 西村すぐり 家族の戦争体験を残す①

 母の戦争体験を文字で残したいという夢があった。この夏、児童文学という形で出版がかなった。

 母は、55歳まで小学校の先生をしていた。そのせいか、よく戦争の体験談を語った。けれど、いざ書こうとしたら、母が残した話は断片的ですき間だらけだった。私が作家を志したのは、母が61歳で他界したあとだった。もう少し早ければと後悔が残る。それでも忘れないうちに、母たち家族から聞いた戦争体験を書いてみようと思う。

 昭和19(1944)年、母は可部高等女学校を卒業後、大朝の新庄高等女学校に新設された1年制の専攻科へ進んだ。広島の市街地から遠い山間の学校の寮へいれることで、母の母は娘を少しでも戦禍から遠ざけたかったのだろうと、母は語っていた。

 大朝で過ごしたのは7カ月だけだった。11月半ばから呉市の広海軍工廠(こうしょう)へ学徒動員された。昭和20年3月、動員先の広で卒業式。そして4月、実家から近い口田国民学校に赴任した。現在の口田小学校だ。

 芸備線の下深川から安芸矢口までの2駅を、母は線路に沿って歩いて通っていた。8月6日の朝、登校中に空襲警報があった。すぐに鉄道のトンネルの中へ避難した。何事もなく警報解除となり学校へ。職員室の開いた窓から、なにげなく広島市街地の空を見ていた。強い光。運動場では子供らが朝礼を待っている。母は「ふせーっ」と、訓練どおり叫んだ。同時に窓ガラスが吹き飛ぶ。自身は腰を抜かしてその場にへたりこんでいた。(にしむら・すぐり 児童文学作家=広島市)

(2023年8月1日朝刊掲載)

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