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連載・特集

『生きて』 竹原高校野球部監督 迫田穆成(よしあき)さん(1939年~) <1> 甲子園

出場16度 憧れ今も強く

 高校野球の広島商(広島市中区)で選手、監督として全国制覇の栄光に輝き、如水館(三原市)を甲子園に春夏通算8度出場の強豪に育て上げた。84歳になった迫田穆成監督は今、自身3校目となる竹原(竹原市)で、選手の育成に情熱を燃やしている。

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  ≪選手、監督として計16度立った甲子園に、強い憧れを持つ≫
 目標は今でも甲子園出場。竹原の選手で今、甲子園に出たとしたら、どんなポジションで誰を起用するか考えたりします。自分が初めて甲子園に出たのは高校2年生の時。大観衆の前でせき一つするだけでも緊張したし、グラウンドに立つと身震いがしました。

 ミスをすれば、その後の人生が変わるかもしれない。それくらい怖い場所です。僕は選手、監督として、いい思いをさせてもらった。自分と関わる選手にも甲子園の舞台に立って、何かを感じて、その後の人生をより良いものにしてほしいという願いがあります。

  ≪プラス思考で生きてきた≫
 頭は弱いですが、野球についてだけは自信があります。どんな人間でも、一つはいいものがあると思うんです。僕は、選手としてはプロに行くような能力はなかったけど、教える能力があった。いろんな失敗をしながらも、この年になっても野球ができているわけですから。運もいい人間です。部員一人一人にとって、いいものとは何か。それを見つけてあげるのも大きな仕事だと思っています。

  ≪年齢を重ねても、野球への熱意が衰えることはない≫
 年齢のことはよく言われるけど、自分では(年を取ったと)考えたことはないですね。自分では若いと思っているから。ただ、自分より若い指導者が亡くなったのを聞くと、年を取ったのかなと思う瞬間はありますがね。今も昔も、ただただ野球を楽しんでやっとるだけ。それに尽きます。娘や周りの人にも言っていますが、野球のグラウンドの上で死ねたら、本望ですよ。 (この連載は報道センター運動担当・貞末恭之が担当します)

(2023年8月1日朝刊掲載)

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