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連載・特集

緑地帯 西村すぐり 家族の戦争体験を残す③

 今回は父の戦争体験だ。父は生前、よく、戦時中の話をしてくれた。昭和19(1944)年、それまで5年制だった広島工業学校、現在の県立工業高校が4年修了となり、父は早期卒業後、海軍の予科練習生に志願した。18歳になる年だった。

 母校の県工が甲子園で活躍するニュースを見るたびに何度も繰り返し話すのは、予備訓練を終え派遣された駐屯地で宿舎を建てたこと。寝泊まりする場所は自分でつくれというのが、最初の指令だった。現地の民家に分宿しながら現場へ通った。愛媛と高知の県境あたりの海岸地域で、城辺とか宿毛という地名をよく聞いた。

 それぞれ8人ほどのグループごとに、わずかな木材と道具が支給され、不足分は近くの山林で「調達」するよう命令された。全員が15~18歳の少年だ。父のグループには県工の同級生が父を含めて4人いた。機械科や土木科出身で、全員図面を引くことができたそうだ。

 他のグループが木材を使っていきなり作業を始める中、父たちはまず図面を引いた。他のグループの掘っ立て小屋は早々に出来上がった。「おまえら、まだできんのか」と、からかわれながらも、設計図に従って出来上がったのはちゃんとした宿舎だった。中には土間と8畳ほどの板の間があった。

 その夜、父たちは上官に呼ばれ「もう1棟つくれ」と命令された。上官たちの宿舎にするという。「これから木材の調達に行く」と、いっしょに船で向かったのは軍の資材置き場だった。真夜中にこっそりと「調達」した木材で、父たちは上官のための立派な宿舎をつくった。(児童文学作家=広島市)

(2023年8月3日朝刊掲載)

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