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連載・特集

緑地帯 西村すぐり 家族の戦争体験を残す④

 海軍の予科練習生は、略して予科練と呼ばれ、飛行機乗りを養成する軍の機関だった。18歳の父が入隊した頃には物資が乏しく、練習用の飛行機はなく、机上の訓練だけで一度も飛行機に乗っていないと、父はよく冗談まじりに話してくれた。

 飛行機乗りはあこがれの職業で、予科練の制服がかっこよかったとか、訓練は、へまをする15歳の仲間の尻拭いをしながら連帯責任で苦労したとか、よいことも悪いことも、たくさん話してくれた。けれど、終戦後帰還してすぐの話は一度も聞いたことがなかった。

 今年4月に父が96歳で他界した。父のきょうだいのうちひとり残った弟、私の叔父が通夜での思い出話の中でポロリと口にした。「兄貴は戦争から戻って半年くらい荒れとった」と、戦争のことはなにも話さなかった叔父が、ようやく話す気になってくれた。

 父は、19歳で終戦を迎え、任地の愛媛県から広島県坂町の実家へもどって来た。祖父が勤めていた発電所の社宅だ。両親と妹弟の6人家族だった。以前は人当たりがよかった父は近所の人にも無愛想で、仕事もせず、ひきこもりの日々が半年ほど続いたそうだ。当時9歳だった叔父は、「話しかけてもけんもほろろで怖かった」と語ってくれた。

 その後、祖父の口利きで父は発電所に就職。もとの、叔父いわく「くそまじめな兄貴」にもどったそうだ。

 父は、定年退職してから予科練のお仲間と共に、戦死した戦友を慰霊するために、年に1度、任地だった松山への旅をするようになった。それは90歳の年まで続いた。(児童文学作家=広島市)

(2023年8月4日朝刊掲載)

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