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[サミットを終えた夏] 卒寿超え被爆証言決意 広島・中区 才木さん

露の核の脅しに怒り

 卒寿を超え、初めて「あの日」を伝えようと決めた被爆者がいる。広島一中(現国泰寺高)2年の時に被爆した才木幹夫さん(91)=広島市中区=はことし、市の被爆体験証言者を志した。きっかけの一つがロシアによるウクライナ侵攻。度重なる「核のどう喝」に、被爆地の声を届ける重要性を感じ、「亡くなった人たちのためにも生きているうちに語りたい」と前を向く。(太田香)

 いつかは証言しなければ、でも思い出したくない―。そんな葛藤を抱えながら、よわいを重ねてきたという。閉じ込めてきた78年前の記憶を語ろうと思ったのは、昨年2月に核超大国ロシアの軍事侵攻を目の当たりにしてから。「核を脅しの道具に使ってはいけない」と怒りを覚えた。

 1945年8月6日の朝、当時13才の才木さんは爆心地から2・2キロの段原中町(現南区)の自宅で被爆した。家族はみな無事だったが、「見渡す限り全部破壊された」。顔が膨らみ、目の見えない人たちが水を求めてさまよっていた。

 翌日、同級生に「学校に行こう」と誘われ、道中で「地獄絵図」を見たという。「山に死体がずらっと並んでいた」。一中では動員されて建物疎開の作業に当たるなどした生徒353人が犠牲となった。「私は休みだったので助かった」と複雑な思いは今も消えない。

 そんな被爆体験をこれまで人前で話すことはなく、封印してきた。しかし、みたび核兵器が使われかねない世界情勢に、証言者として次代に伝える覚悟を決めた。7月に始まった市の研修を受講。講話原稿も練り始め、来年のデビューを目指す。「あと4、5年しか証言ができないかも」と思いつつ、命ある限り声を振り絞るつもりだ。

 5月に市であった先進7カ国首脳会議(G7サミット)では、戦時下のウクライナから大統領が訪れ、G7に連帯を呼びかけた。一方、ロシアは今も核兵器使用を示唆する。きなくささが増す中、才木さんは首脳たちに求める。「こんな非人道的核兵器は絶対に使ってはいけない。廃絶をもっと真剣に考えてほしい」

(2023年8月4日朝刊掲載)

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