「核は悪魔 体制の頂点」 廃絶訴える呉の被爆2世 元日大全共闘議長・秋田明大さん
23年8月4日
1968年に学内の使途不明金20億円が明らかになったのをきっかけに起こった日大闘争。日大全共闘議長として闘争を率いた秋田明大さん(76)=呉市音戸町=が近年、核兵器廃絶などを訴える活動に携わっている。実は被爆2世。核兵器は「人間が造った悪魔みたいなもの」と、平和への思いを静かに語る。
原爆投下後、広島市内に住んでいた母の両親を訪ねた父母が入市被爆した。両親から原爆の話を聞いたことはほとんどないという。
約10年前から広島市内である「8・6 ヒロシマ平和の夕べ」の呼びかけ人に名を連ね、開催準備も手伝う。「東京の全共闘の連中とはごくたまに集まるぐらい。話し相手をどうつくろうかと思っていた時に誘われた。安らぎも欲しかった」
身の危険を感じながら活動した学生時代と違い、穏やかに語り合える雰囲気に居心地の良さを感じた。「私は政治的に軽薄で不器用。参加するのは聴衆としてで、マイクは握らない。口下手なんで」と話す。
核兵器の存在を「武器というより、体制の頂点にあるもの」と表現。廃絶に向けては「世の中が変革されないと、なくなるのは難しいんじゃないか。ウクライナなどで現実的な悲劇が見えつつある」とする。
日大闘争の動機は明快だった。「単純な正義感。学んだ民主主義や自由とは全く違う現実に、おかしいと思った」。核兵器廃絶を求める市民の願いに世界は逆行していないか。「やっぱり平和がいいよね」と、白くなった太い眉を少しひそめる。ことしの原爆の日も、広島市内である集会に足を運ぶ。(上木崇達)
あきた・あけひろ
1947年生まれ。呉市音戸町出身。崇徳高(広島市)から日大へ進学。日大全共闘議長として学生を率い「アキタメイダイ」と呼ばれた。69年に公務執行妨害などの容疑で拘留され、その後は全共闘を退く。45年ほど前に帰郷し、自動車整備工場を営む。
(2023年8月4日朝刊掲載)
原爆投下後、広島市内に住んでいた母の両親を訪ねた父母が入市被爆した。両親から原爆の話を聞いたことはほとんどないという。
約10年前から広島市内である「8・6 ヒロシマ平和の夕べ」の呼びかけ人に名を連ね、開催準備も手伝う。「東京の全共闘の連中とはごくたまに集まるぐらい。話し相手をどうつくろうかと思っていた時に誘われた。安らぎも欲しかった」
身の危険を感じながら活動した学生時代と違い、穏やかに語り合える雰囲気に居心地の良さを感じた。「私は政治的に軽薄で不器用。参加するのは聴衆としてで、マイクは握らない。口下手なんで」と話す。
核兵器の存在を「武器というより、体制の頂点にあるもの」と表現。廃絶に向けては「世の中が変革されないと、なくなるのは難しいんじゃないか。ウクライナなどで現実的な悲劇が見えつつある」とする。
日大闘争の動機は明快だった。「単純な正義感。学んだ民主主義や自由とは全く違う現実に、おかしいと思った」。核兵器廃絶を求める市民の願いに世界は逆行していないか。「やっぱり平和がいいよね」と、白くなった太い眉を少しひそめる。ことしの原爆の日も、広島市内である集会に足を運ぶ。(上木崇達)
あきた・あけひろ
1947年生まれ。呉市音戸町出身。崇徳高(広島市)から日大へ進学。日大全共闘議長として学生を率い「アキタメイダイ」と呼ばれた。69年に公務執行妨害などの容疑で拘留され、その後は全共闘を退く。45年ほど前に帰郷し、自動車整備工場を営む。
(2023年8月4日朝刊掲載)