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めい決意 苦しみ語り継ぐ 原爆資料館「伸ちゃんの三輪車」 広島の小西さん

あす初活動 弔い続けた祖父思い

 3歳で被爆死し、原爆資料館(広島市中区)に寄贈された遺品「伸ちゃんの三輪車」で知られる鉄谷伸一ちゃん。めいの小西佳子さん(42)=南区=が5日、伸ちゃんを弔い続けた祖父について語る活動を始める。原爆が家族にもたらした長い苦しみを知ってほしいとの思いを込める。(治徳貴子)

 伸ちゃんは爆心地から1・5キロ、現在の中区東白島町の自宅前で三輪車で遊んでいて被爆し、姉と妹は遺骨で見つかった。祖父の信男さんは、「水、水」とうめきながら息を引き取った伸ちゃんを焼くことができず、自宅庭に40年間埋葬していた。小西さんは、信男さんが1998年に亡くなるまで毎朝、庭の地蔵に水と線香を供える姿を見て育った。

 証言活動に乗り出すきっかけは、見返したテレビ番組の録画だった。信男さんが言葉に詰まり、静かに涙しながら語る姿に胸をえぐられ、「祖父の思いを語り継ぎたい」と決意した。3人の子の母になり、信男さんの悲しみが身に染みたことも背中を押した。

 「うまく語る自信はない」という。親族が立ち会い、85年に伸ちゃんと三輪車を掘り出したとき、小西さんは4歳。おぼろげな記憶しかない。孫に泣く姿を見せたくなかったのか、信男さんからは伸ちゃんの話を直接は聞かされていない。

 それでも、小西さんは「伸ちゃんを思い続けた祖父の様子を伝えられるのは、いずれ私だけになる」と言い聞かせる。伸ちゃんの弟に当たる父敏則さん(74)からも信男さんの話を聞き取り、証言活動に生かす。

 知人の助けも後押しになった。入市被爆者の祖母を亡くした槙野未来さん(41)=広島県府中町。小西さんの相談に乗り、2人で「watashⅰbⅰto(わたしびと)」というグループをつくった。名前には「記憶を若い人に手渡す」との意味を込めている。

 初めての活動は5日、江田島市沖美町の宿泊施設「Uminos Spa&Resort」である音楽イベント「夏宵ひとつなぎ」(協力金千円)になる。小西さんは午前11時ごろから「原爆で子を亡くした私のおじいちゃんの話」と題して語る。「私が渡す伸ちゃんにまつわる記憶のバトンを、どうか次の人につないでほしい」と願う。

(2023年8月4日朝刊掲載)

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