被爆体験 最後の語り 91歳池田さん 豊栄で続けた証言活動 「核兵器ない時代」託す
23年8月5日
13歳のときに広島市内で被爆した池田智恵子さん(91)=広島市安佐北区=が4日、かつて暮らしていた東広島市豊栄町の豊栄小で体験を語った。80歳の頃から証言活動を続けてきたが、高齢のためこの日を最後に引退する。児童たちに「戦争と核兵器がない時代をつくりましょう」と語りかけた。(教蓮孝匡)
5、6年生計23人と地元住民9人を前に、池田さんは被爆当時の状況をゆっくりと語った。
安国民学校(現安小、安佐南区)高等科2年生だった1945年8月6日朝、爆心地から約9キロの学校講堂にいた。爆風に体を飛ばされ、割れた窓ガラスが降りかかった。じきに降り出した黒い雨で、白いブラウスは黒く染まったという。
学校は、市中心部から逃れて来たけが人であふれた。焼けただれた皮膚を垂れ下げた親子、片耳を吹き飛ばされた兵隊。「地獄のよう。『助けて』と泣き叫ばれたが、どうしていいか分からなかった」と振り返った。
川の水を手ですくって飲んだ人が突っ伏して息絶える横で、うみがこびりついた包帯を洗う日々は2カ月続いた。「平和ほどありがたいものはない。皆さんは日本の宝。魂のバトンを渡します」と語った。
池田さんは70歳を過ぎた頃から約18年間、次男が暮らす豊栄町で過ごした。その間「若い人に伝えよう」と東広島市や広島市で体験を語った。3年前に長男が住む安佐北区に移った後も豊栄小などで証言活動を続けた。
終了後、児童を代表して6年西坪美結さん(11)が「長年のお話のおかげで戦争のことを知ることができた。平和のためにできることから始める」と感謝。花束を受け取った池田さんは「平和の大切さを考え、まずは親孝行をしてください」とほほ笑んだ。
(2023年8月5日朝刊掲載)
5、6年生計23人と地元住民9人を前に、池田さんは被爆当時の状況をゆっくりと語った。
安国民学校(現安小、安佐南区)高等科2年生だった1945年8月6日朝、爆心地から約9キロの学校講堂にいた。爆風に体を飛ばされ、割れた窓ガラスが降りかかった。じきに降り出した黒い雨で、白いブラウスは黒く染まったという。
学校は、市中心部から逃れて来たけが人であふれた。焼けただれた皮膚を垂れ下げた親子、片耳を吹き飛ばされた兵隊。「地獄のよう。『助けて』と泣き叫ばれたが、どうしていいか分からなかった」と振り返った。
川の水を手ですくって飲んだ人が突っ伏して息絶える横で、うみがこびりついた包帯を洗う日々は2カ月続いた。「平和ほどありがたいものはない。皆さんは日本の宝。魂のバトンを渡します」と語った。
池田さんは70歳を過ぎた頃から約18年間、次男が暮らす豊栄町で過ごした。その間「若い人に伝えよう」と東広島市や広島市で体験を語った。3年前に長男が住む安佐北区に移った後も豊栄小などで証言活動を続けた。
終了後、児童を代表して6年西坪美結さん(11)が「長年のお話のおかげで戦争のことを知ることができた。平和のためにできることから始める」と感謝。花束を受け取った池田さんは「平和の大切さを考え、まずは親孝行をしてください」とほほ笑んだ。
(2023年8月5日朝刊掲載)