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連載・特集

没後70年 峠三吉の伝言 <下> にんげんをかえせ

人間の尊厳 問う苦しみ

世代や国を超えて共感

 「にんげんをかえせ」「へいわをかえせ」―。すべて平仮名のわずか8行の詩。峠三吉(1917~53年)が51年、ガリ版刷りの「原爆詩集」に収録した「序」は、峠の名を世に広め、没後70年たった今なお読み手の心をとらえる。

 「直接問いかけられ、呼びかけられている気がする」。広島女学院大4年の桑原希羽(まう)さん(21)=廿日市市=は今年3月、平和記念公園(広島市中区)の峠の詩碑前であった没後70年の追悼式で「序」を朗読した。「『へいわをかえせ』に峠の思いが全部詰まっている。自分の言葉として読んだ」と振り返る。

 「序」の全文を刻んだ詩碑の背面には英訳もある。「大人も子どもも誰にでも響く」。10年ほど前から英語でボランティアガイドをしている阿波明子さんは、外国人に声を出して読むよう促す。イタリア出身のナディル・シャーリさん(44)もその一人。「原爆資料館で抱いた複雑な感情がよみがえった。作品を知ることができてよかった」と関心を寄せていた。

 世代、国を超えて瞬時に共感を得る詩句を、峠はどう編み出したのか。峠は当初、原爆被害の詳細を盛り込んだ原爆詩を構想していた。これを裏付ける直筆メモと、原型になった「生」というタイトルの草稿が、広島市立中央図書館(中区)の書庫に保管してある。

 封筒に入った灰となって建物疎開から帰ってきた年寄りや子ども、うじにまみれ救護所で亡くなった人―。草稿の段階では、旧陸軍被服支廠(ししょう)内の惨状を記した詩「倉庫の記録」とも重なる詳細な描写を並べ、「わしの命をかえせ」「生をかえせ」と続けていた。

 87年に草稿が見つかった際、「広島文学資料保全の会」代表幹事を務めた広島大名誉教授の好村冨士彦さん(2002年に71歳で死去)が分析した解説がある。好村さんは「個々のリアルなディテールを思い切って切り捨てている」と指摘。父、母、子供を平仮名に変えることで抽象的、メルヘン的な性格を帯び、普遍性を増したと結論づけた。

 肺結核のため、50年に国立広島療養所(現東広島市)に入院した好村さんは、療養所内で峠と親交を深めた。せき込み、体調の悪そうな峠が、詩の配列や行替えを吟味していた様子も見ていた。

 広島女学院大の出雲俊江教授(60)は峠の詩作から、「人間の姿を写生する視線の厳しさ」とともに、「人間の尊厳について問い続けずにはいられなかった苦しみ」を感じるという。それ故に社会で疎外感を感じ、もがきながら交流サイト(SNS)で声を発信する現代の若者にも受け入れられやすいとみる。

 「生」の草稿の裏には、「原爆詩集は広島だけで終わらしたい」という峠の走り書きも残る。「有形無形の圧迫」にあらがいながら身を削って絞り出した言葉は、時代に応じた解釈で色あせることなく読み継がれる。(桑島美帆)

(2023年8月5日朝刊掲載)

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