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連載・特集

時の碑(いしぶみ) 土田ヒロミ「ヒロシマ・モニュメント」から <1> 原爆ドーム(広島市中区大手町1丁目)

「聖地化」 40年の変遷映す

 被爆地広島の風景の移り変わりを、ほぼ10年ごとに「定点観測」するように撮り続けてきた写真家がいる。土門拳賞受賞(2008年)など、現代日本の写真界を代表する一人、土田ヒロミさん(83)。「ヒロシマ・モニュメント」と題したそのシリーズは1979年にスタートし、直近の2019年の撮影まで、世紀をまたぐ40年間の変遷を画像に刻んだ。貴重な記録の一端を月1回、2枚組みの写真で紹介していく。(編集委員・道面雅量)

 シリーズに着手した1979年当時、土田さんは39歳。市内の100地点を目標に、原爆ドーム(中区)といった象徴的なモニュメントだけでなく、煙突や橋、門柱、樹木といった街角の何げない事物をフレームに収め、個展「ヒロシマ・モニュメント」で発表した。10年後の撮影は50地点に絞り、前作との2枚組みを見開きに配した写真集「ヒロシマ・モニュメントⅡ」を刊行した。

 撮影は2010年と19年にも行った。開発で跡形もなく消え去った建物もあれば、ほとんど変わらない風景もある。「街の何が残り、何が消えるかも、原爆に対する市民意識の表れと思う。写真を通じて可視化したいと考えた」と土田さん。人々が暮らし、それ故に変化するヒロシマという街そのものを、時代で切り取ってモニュメント(記念碑)化する―。写真家ならではのそんな仕事を、粘り強く重ねてきた。

 1979年の原爆ドーム一帯を捉えたカットには、そばの元安川で営業する貸しボートの桟橋が、のどかな利用客の姿とともに見える。手前にある相生橋は、前年に始まった架け替え工事の最中で、独特のT字形を構成する連絡橋は取り外されて仮設の鉄橋だけになっている。

 貸しボートなどの桟橋は、原爆ドームが国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録される96年を境に移転・撤去が進み、国土交通省太田川河川事務所(中区)によると、98年ごろまでにドーム脇のエリアから全てなくなったという。平和の「聖地」とも呼ばれる一帯。2019年のカットを40年前と比べると、「聖地化」の進展が目に見えるようだ。

つちだ・ひろみ
 福井県生まれ。原爆資料館所蔵の被爆遺品を撮った「ヒロシマ・コレクション」、日本各地の土俗的文化に向き合った「俗神」などを発表。東京都在住。

(2023年8月5日朝刊セレクト掲載)

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