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社説・コラム

著者に聞く 「行動する詩人 栗原貞子」 松本滋恵さん 反戦貫いた「ぶれない人」

 被爆直後に生まれた命の尊さを詠んだ「生ましめんかな」で知られる原爆詩人栗原貞子(1913~2005年)。波乱に満ちた栗原の人生を7年がかりで追った。戦中から一貫して反戦の意志を持ち続けた栗原を「ぶれない人」と評する。

 「生ましめんかな」のほか、連合国軍総司令部(GHQ)のプレスコード下で栗原が発刊した詩集「黒い卵」(1946年)、戦争加害の側面も描いた詩を収録した「ヒロシマというとき」(76年)を中心に、創作意図や時代背景を丹念に読み解いた。「まるで昭和史をたどるようだった」と振り返る。

 自身も「信念の人」だ。32歳の時に夫を交通事故で失い、公立小の給食調理員として働きながら、幼かった子ども3人を育てた。定年を前に59歳で学問の世界へ。放送大を経て、77歳だった2019年、広島女学院大大学院で博士号を取得した。

 研究テーマに原爆文学を選んだのは、78年前の夏の体験がある。爆心地に近い左官町(現広島市中区本川町)で時計店を営んでいた伯父宅で過ごし、原爆投下前日の8月5日に江波の自宅へ戻った。祖父や伯父夫婦たち4人は亡くなった。

 「もし1日ずれていたらどうなっていたか。生かされた自分が何かしなければ、という思いに駆られた」。原爆詩人峠三吉、被爆作家原民喜の研究で修士論文を終えた後、博士論文のテーマに栗原を選んだ。「被爆作家の中でも長く生きた方で、資料も多い」。大学内の栗原貞子記念平和文庫に通い詰め、資料を読み込んだ。

 最も引かれる詩は42年作の「黒い卵」だ。「私の想念は無精卵のように」「私の胸底深く秘かにあたゝめている黒い卵よ」―。黒い卵を「抑圧されても揺るがなかった反戦と平和への希望」と読み解き、「死ぬまで栗原の中で生き続けた」とみる。

 80歳を超えても研究意欲は衰えない。ウクライナで戦争が続き、核廃絶の道が険しさを増す中、「今こそ栗原の詩を多くの人に知ってほしい。戦争と核兵器が何をもたらすかが分かるはずだ」と説く。(桑島美帆) (溪水社・2750円)

まつもと・ますえ
 1942年、広島市中区生まれ。63年、中央大中退。2004年、放送大卒。19年、広島女学院大大学院博士課程修了。日本平和学会会員。

(2023年8月6日朝刊掲載)

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