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社説・コラム

社説 ヒロシマ78年 原点の継承 今こそ誓いたい

 8月に入り、広島の原爆資料館を訪れると、窓口に並ぶ長い列の大半が外国人だった。新型コロナウイルス禍の前よりも増えたように思う。

 時間をかけて館内を歩き、建物疎開作業に動員されて被爆死した10代の少年少女たちの遺品を前に立ちすくむ彼らの姿に、被爆資料の重みを感じる。先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)が終わって2カ月半。被爆地の注目度を高め、人を呼ぶという面ではサミットの効果は確かにあるだろう。

 米国が原爆を投下して78年。ロシアの理不尽な侵攻でウクライナで戦争が始まって2回目の原爆の日を迎える。ことしは賛否が割れた広島サミットの意味に、どうしても思いが至る。

 G7の核保有国・米英仏のほか、拡大会合に保有国のインドが加わった。原爆資料館での首脳たちの行動の全容は明らかにされなかったが、核兵器が使われると何が起きるかは曲がりなりにも感じ取ったはずだ。

廃絶の道見えず

 ただ、サミットの成果が国際社会で生かされているとは言い難い。オーストリアで開催中の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の第1回準備委員会が象徴的だ。日本政府の代表はサミットの核軍縮文書「広島ビジョン」について「核兵器のない世界の実現に向けた強固な土台」と演説で胸を張ったが、ベラルーシへのロシアの戦術核配備などを巡る非難の応酬が続き、廃絶はおろか核軍縮の進展は見えない。

 多くの被爆者が失望した広島ビジョン自体がやはり、説得力を欠くと言わざるを得ない。核抑止力を正当化し、ロシアや核戦力を増強する中国を難じる一方で米英仏の保有は容認したからだ。「核兵器なき世界」と口では唱えても理想と現実は違うとばかりに、やる気を感じさせない国々。その中に被爆国日本が含まれるなら残念だ。

 ウクライナの戦争をきっかけに核兵器廃絶への道は逆風下にある。東アジアでも中国の動向に加え、北朝鮮の核開発が懸念される。そうした中で世界の「分断」が広がっていることは看過できない。核兵器を「絶対悪」とし、速やかな廃絶を目指す立場と、抑止力としての「必要悪」と開き直って保有を是とする立場。前者の象徴が広島ビジョンが黙殺した核兵器禁止条約であり、後者が崩壊の危機に直面するNPT体制だろう。さらに言えば被爆国日本の世論も、この分断の例外ではない。

核抑止力は幻想

 しかし悲観すべきではない。今こそ原点に立ち返り、20世紀最大の負の遺産、核兵器がもたらす惨禍を直視したい。核抑止力という幻想を打破し、廃絶への道を開くことは必ずできる。

 原爆資料館で公開する数々の資料が伝える「人間的悲惨」の実態こそが現実であり、真実である。核には核という発想がエスカレートすれば、抑止ではなく「使える」核の競争に至り、広島と長崎の悲劇の再来を遠からず招いて人類は破滅しよう。きょう松井一実広島市長が読み上げる平和宣言で核抑止論を否定するのは当然のことだ。

 気がかりなのは日本国内でも若い世代ほど核の保有を容認する空気が、じわじわ広がっているとも感じられることだ。戦争の記憶の風化や防衛力強化の流れと無縁ではない。不戦の誓いを新たにして被爆体験を未来に語り継ぐことが急務である。

 被爆80年が近づく。被爆者の平均年齢は85歳を超え、自分の言葉で語れる人は減った。戦後に口を閉ざし、孫の世代に伝えねばと今世紀になって証言を始めた人も多かったが、今や高齢化が著しい。証言活動の中心となってきた旧制中学校や高等女学校の往年の生徒たちは90歳をゆうに超す。

証言掘り起こす

 この夏、東京の老舗出版社、河出書房新社が世に出した中高生向けの1冊が継承のヒントになる。孫の勧めで70歳になって証言活動を始め、延べ20万人以上に語ってきた梶本淑子さん(92)の著「14歳のヒロシマ」である。高女3年の時、爆心地から2・3キロの動員先で被爆する。建物の下敷きになるが助かり、傷ついた級友たちと地獄さながらの街で、時に遺体を踏みながら逃げた。生々しい体験と戦前、戦後の生きざまをつづり、核のどう喝を繰り返すロシアのプーチン大統領に「何も分かっていない」と怒りをぶつける。

 この本は自らも広島市の被爆体験伝承者として活動する東京のライターが梶本さんの元に通い、証言を丁寧に聞き書きして構成した。出版社も企画を快諾したと聞く。「若い人に原爆とは何か知ってもらい、家族や友人に伝えてほしい。その小さなことが大きなことになる」と梶本さんは言う。被爆地の内と外、若い世代と体験者の思いが一つになった手法は心強い。

 被爆者がいない時代はいずれ来る。今のうちに生の証言をどのように掘り起こし、記憶と記録にとどめ、未来に発信するか。日進月歩のデジタル技術や人工知能(AI)も生かせないか。より危機感を持ち、切迫した課題として継承の強化を考えていきたい。

(2023年8月6日朝刊掲載)

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