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[サミットを終えた夏] 「主会場」元宇品で被爆 原田さん 求める ヒロシマの発信

忘れられない 級友の顔

世界をつぶす核兵器は、ない方がいい

 脳裏に刻まれた友は10代半ばのままだ。広島市南区元宇品町(宇品島)で被爆した原田芳雄さん(93)は同級生たちを原爆で失った。同町は5月にあった先進7カ国首脳会議(G7サミット)で主会場となった。6日、首脳たちも訪れた平和記念公園(中区)内にある動員学徒慰霊塔を訪れ、核のない世界を願った。(小林可奈)

 「ここに来ると、友の顔が思い出されてね」。慰霊塔を訪れた原田さんは白菊などを手向けて静かに手を合わせると、友の名を一人一人挙げながら78年前に思いをはせた。

 当時は市立第一工業学校(現県立広島工高)の4年生。8月6日は朝から市中心部に建物疎開作業に行く予定だったが、おなかをこわし、家を出るのが遅れた。自宅玄関先で極端な明るさの光と、どーんという地響きを感じた瞬間、爆風で天井が浮き、2階の西側のガラスが割れ散ったという。

 広島原爆戦災誌などによると、同校は原田さんの同級生を含む生徒50人と教職員3人が犠牲になった。現中区の水主(かこ)町や鶴見橋付近の建物疎開に動員されるなどしていたという。原田さんは前日の5日の作業後に同級生たちと元安川で遊んだばかりだった。

 「それは、つらかったよ。死にとうて死んだんじゃない」。早過ぎる友の死に胸を痛めた。「作業に出てくれたのに申し訳ない」と自責の念にも駆られ、原爆の日に合わせて追悼を重ねてきた。

 「世界をつぶしてしまう核兵器は、ない方がいい」。原田さんは温和な語り口に力を込め、5月のG7サミットで市に集った世界のリーダーたちに求める。「私らだけが声を張り上げたところで限界がある。国同士が話し合い、世界を導いてほしい」

(2023年8月7日朝刊掲載)

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