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つなぐ 「あの日」の記憶 家族伝承者目指す長谷川さん 開けた道 亡き父に決意

いったん諦めたけど、やっぱり伝えたい

 78年前、たった1発の原爆が広島のまちを破壊し、市民のささやかな暮らしを奪った。被爆者たちはきのこ雲の下で起きたことを伝え、その凄絶(せいぜつ)な体験は核兵器の惨禍を防ぐ力になってきた。いま世界が混迷する中、被爆した親に代わり、記憶を次代に語り継ごうとする2世たちがいる。二度と繰り返してはいけない―。6日、亡き家族をそれぞれ悼み、決意を新たにした。

 「いったんは諦めたけれど、やっぱりお父さんの思いを伝えたい」。被爆体験を語り継ぐ広島市の家族伝承者を目指す長谷川桂子さん(58)=廿日市市=は6日、89歳で昨年亡くなった父加来(かく)昌雄さんが眠る広島市中区の墓前で誓った。

 あの日、昌雄さんは県立広島商業学校(現県立広島商業高)1年の12歳。生徒約440人は皆実町(現南区)の校庭で朝礼の開始を待っていた。突然強い光に包まれ、体は爆風で飛ばされた。気が付くと、陸軍の被服支廠(ししょう)(同区)に寝かされていた。背中にやけどを負ったが「ここで死んでたまるか」と思ったという。

 長谷川さんは「父はおしゃべり好きなのに原爆のことは話そうとしなかった」と振り返る。昨年度に始まった市の家族伝承者の養成事業を知り、「父の過去にきちんと向き合えるのは今だけ」と応募した。がんで療養中の昌雄さんは「聞いてくれれば何でも話すから」と静かに応じてくれた。

 数カ月かけて病床から聞いた話は、初めて知る内容ばかりだった。昌雄さんは昨年8月8日、息を引き取った。その時点で市の規定により研修は打ち切りに。同様に研修を続けられなかった人たちが声を上げ、市は今年7月に規定を改めた。長谷川さんにも伝承者への道が再び開けた。

 一周忌を前に、昌雄さんの名前を加えた原爆死没者名簿が平和記念式典で原爆慰霊碑に納められた。初めて式典に参列した長谷川さんは「慰霊碑をより身近に感じる」。被爆地を訪れる若い世代に、それぞれの日常と重ねて平和を考えてもらう伝承活動を心がけるつもりだ。(川上裕)

(2023年8月7日朝刊掲載)

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