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サミットの街 平和求めて 8・6ドキュメント 

はだしで「あの日」感じたい

カナダから千羽鶴を手に

 0・00 江田島市の画家で被爆者の吉田悦子さん(82)が原爆慰霊碑(広島市中区)に手を合わせた。4歳の時に現在の西区で被爆し、祖父と叔母は被爆死した。紙芝居で体験を語り継いできた。「小学校の校庭で見た死体の山、魚の腐ったような臭いを今も思い出す。核兵器はあってはならない」と力を込めた。

 1・30 長崎県対馬市の会社員中村裕輔さん(31)は会食後、原爆ドームに立ち寄った。「夜の静けさもあって特別な雰囲気。広島と長崎の二つの被爆地で何があったか、自然と思いが巡る」

 3・05 廿日市市の会社員藤田周平さん(34)が原爆慰霊碑を訪れた。78年前、学校の校庭にいた祖父の頭上で原爆がさく裂。靴ひもを結ぼうと身をかがめていた祖父は助かったという。「人の生死が一瞬のうちに決まってしまう。今も戦争が続くが、早く平和になってほしい」

 3・50 大阪府茨木市の自営業山下純生さん(52)が平和記念公園のベンチで原爆慰霊碑を眺めていた。「ここでは特定の誰かや国を憎たらしいと思う気持ちはなくなる。核兵器も戦争も駄目だ、と率直に思える」

 4・50 「また来るね」。南区の日浦絹子さん(80)は原爆慰霊碑に手を振った。胎内被爆者だった夫の名前が原爆死没者名簿に記されている。「5年前に亡くなるまで一緒に来ていた。夫に会いたい一心です」

 5・05 安佐北区の横山ヨシエさん(94)は孫の大城さん(40)、ひ孫の心咲さん(16)と一緒に原爆慰霊碑を訪れた。原爆投下後、トラックで運ばれる多くの負傷者を見たという。「決して二度とあってはいけない」。あの日の自分と同年代のひ孫に語りかけた。

 5・15 フランス在住のファディアン・クフェルさん(29)が原爆慰霊碑を訪れた。婚約者と日本全国を旅し、この日に合わせて広島を訪れた。「今は人々が笑顔を絶やさずに生きている事実に感動する」

 5・35 原爆慰霊碑周辺の立ち入り規制で、人の列ができ始める。母、弟と訪れた呉市の介護士中村風花さん(20)は小学生の頃、「はだしのゲン」を読んで原爆について身近に考えるように。「引き離された多くの家族を思うと悲しい」。毎年この日の朝、家族で慰霊碑へ向かう。

 6・25 「広島ビジョン反対」などと書かれた旗を持つ団体が原爆ドーム前に集まり始める。その抗議デモに反対する別の団体が取り囲み、緊張した雰囲気に。

 8・00 爆心地の島内科医院(中区)の前に、廿日市市の会社員伊藤雅則さん(58)が姿を見せた。靴を履いていない。「五感で『あの日』を感じたい。アスファルトはやけどするほど熱いけど、78年前はこんなものではなかったはず」。はだしのまま平和記念公園周辺を巡るという。

 8・15 海田高1年で写真部員の籔優歌さん(15)=東区=が原爆の子の像近くで足を止め、黙とうをささげた。「世界は78年前に戦争の悲惨さを知ったはずなのに、いまだに戦争が起きている。平和の希求に興味がない人にも訴える写真を撮りたい」。カメラを手に、再び歩き出した。

 8・45 カナダ在住の小学校教諭半田バレリーさん(49)が、同国の小学生たちが折った千羽鶴を手に原爆の子の像を訪れた。「海外の子どもができることは少なくても、積み重ねれば大きな力になる」と託した。

 9・45 原爆の子の像前。安芸府中高など広島県府中町の中高生たちが、日本語と英語で紙芝居「原爆の子 さだ子の願い」を披露した。繰り返し上演し、「少しでも悲惨さが伝われば、平和を考えるきっかけになる」と汗を拭った。

 10・00 平和記念公園の木陰。中区で生花店を営む大西美穂さん(46)が直径1メートルほどの花輪を用意し、訪れた人は切り花を挿していく。「人種や国籍を問わず、花を挿す時は同じように平和を願ってほしい」と10年間続けている。

 10・10 胎内被爆者の石見洋二さん(77)=佐伯区=が、原爆ドーム前にある県地方木材統制株式会社慰霊碑にペットボトルで水をかけた。「水をくれ、と叫びながら亡くなった人たちを思うと胸が痛い」。ガイドボランティアとして「被爆者の苦悩や戦争、原爆の真実を伝えていく」と思いを新たにした。

 12・21 広島市中区の最高気温が今年最高の36・9度を記録した。

 13・20 広島国際会議場で開かれている先進7カ国首脳会議(G7サミット)を振り返る回想展は、国内外の来場者であふれた。南区の会社員室田博文さん(64)は「今も戦争が起きているウクライナのゼレンスキー大統領が被爆地を訪れたことに大きな意義があった。平和のアピールになった」と振り返った。

 13・40 紙屋町地下街シャレオ(中区)で開かれた毛筆でうちわにメッセージを書くイベント。「私も広島の街で平和について考えたい」。英国の美術教師ミランダ・ペンニングトンさん(51)は安田女子大書道学科の学生の手ほどきで「平和」としたためた。

 14・00 平和記念公園にある噴水「祈りの泉」前。尾道市の高須小3年池本恵奈さん(8)が約20羽の折り鶴を大切そうに握っていた。平和のために何ができるか家族で話し合い、作ったもの。「誰かが喜んでくれたり、平和になったりしたらいいな」。両親と原爆の子の像へ向かった。

 14・00 広島国際会議場で、毎年原爆劇を上演する舟入高(中区)演劇部の公演が始まる。この日で部活を引退する部長の3年柴田優月さん(17)は「後輩たちに伝統を受け継いでほしい」。

 15・15 安佐北区の大塚映子さん(88)が原爆供養塔そばの日陰のベンチに腰掛けていた。原爆投下から1カ月の間に両親と弟を亡くした。「2歳違いの優しい弟。どこに行くにもずっと2人くっついて過ごしていた」と記憶をたどった。

 16・00 原爆の子の像前。市民グループが「ひろしま平和の歌」など5曲を歌った。中区の渡部律子さん(75)は夫が被爆者。「歌うことのできる幸せをかみ締めて、天国の夫に届けたい」と青空へ歌声を響かせた。

 19・00 相生橋北の本川沿い(中区)に市民有志が集まり、西区己斐上の「滝の観音」などでくんできた水をささげた。企画した市民団体の西川隆治代表(59)は「多くの方が水を求めて亡くなった場所。きれいな水を飲んでほしい」と日没間際の水面を見つめた。

(2023年8月7日朝刊掲載)

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