×

ニュース

各地で慰霊祭 ヒロシマ8・6

父奪った原爆/生き残った負い目/帰らぬ遺骨

寂しかった戦後/伝える使命/戦争は今も

  ◆原爆死没者慰霊行事(平和記念公園)
 被爆者や遺族約100人が原爆供養塔の前に集った。昨年までの3年間は新型コロナウイルスのため、広島戦災供養会の役員で営んでいたが、今年は一般参加者の席も設けた。今の銀山町で被爆した父を18年前に亡くした大阪市の三宅康博さん(72)は「無差別に命を奪った原爆の恐ろしさを語り継ぐ」と誓った。

  ◆広島二中原爆死没者慰霊祭(平和記念公園)
 建物疎開に従事した生徒たち約350人が犠牲になった広島二中(現観音高)の碑前では、遺族や高校生たち約100人が悼んだ。当時1年の兄博さんを亡くした江田島市の登地靖徳さん(82)は「1発の爆弾が多くの将来ある学生の命を奪った。決して許されないこと」。国同士の争いが続くことに眉をひそめた。

  ◆職員原爆犠牲者追悼(中区加古町)
 県職員や遺族たち約200人が県庁跡そばの慰霊碑前に集まり、犠牲者1142人をしのんだ。安芸区の山本珠子さん(54)の祖父小田原又三さんは当時、土木の作業中に相生橋付近で被爆。遺骨は見つかっていない。山本さんは「孫に恵まれ幸せに暮らしていますよ」と、心の中で祖父に語りかけた。

  ◆広島女子高等師範学校、付属山中高等女学校、県立第二高等女学校合同慰霊祭(中区国泰寺町)
 荒神堂境内の慰霊碑に約70人が手を合わせた。山中高女教諭だった100歳の平賀栄枝さん=福山市=は郊外から市内に入り、生徒を捜し回った。「病院で横になった生徒が『先生』と呼んでくれたが、助からなかった」。声を震わせて遺族に当時の惨状を伝えた。

  ◆電気通信関係原爆死没者慰霊式(中区基町)
 遺族やNTT西日本の社員たち約100人が参加し、黙とうをささげた。4年ぶりに訪れた安佐南区の西宮静子さん(72)は、母のおじの四郎さんを原爆で亡くした。遺骨の一部が後から見つかったという。「人の幸せを一瞬で奪う核兵器は絶対に落としてはいけない。戦争は早くやめてほしい」と話した。

  ◆広島赤十字・原爆病院原爆殉職職員ならびに戦没職員慰霊式(中区千田町)
 職員たち約60人が病院近くの慰霊碑に集まり、亡くなった51人を悼み、献花した。古川善也院長(68)は「死者、重軽傷者を出しながらも先輩方は病院に殺到する負傷者に懸命の治療を続けた。地域の中核医療施設として引き続き被爆者医療に注力する」と述べた。

  ◆広島郵便局原爆殉職者慰霊祭(南区比治山町)
 遺族や職員たち約70人が慰霊碑のある多聞院に集った。鐘の音に合わせ、288人の犠牲者を悼んで黙とうした。西区の中本健治さん(78)は、夜勤明けで帰宅中の父七郎さん=当時(29)=を亡くした。遺骨は見つからず母は何年も帰りを待ち続けた。「父は幼い子3人の成長を見られず無念だっただろう」としのんだ。

  ◆比治山女子中学・高等学校原爆死没者追悼式(中区基町)
 「広島壊滅」の第一報を発信した中国軍管区司令部跡(旧防空作戦室)そばの碑前。比治山女子中・高の生徒や教職員たち約30人が、司令部に動員された先輩たち約70人の犠牲者に思いをはせた。高校2年長妻蕗さん(16)は「被爆者の思いを未来に伝えていかないといけない」と誓った。

  ◆国土交通省(旧内務省)原爆殉職者慰霊式(平和記念公園)
 原爆ドーム前の慰霊碑に遺族や職員約40人が献花した。岡山市南区の高柳綾男さん(84)の父登さんの遺骨は戻らないまま、自転車と弁当箱が今の広島市西区で発見された。「厳しい父だった。原爆ドームを訪れるたびにかすかな記憶を思い出す。父を奪った原爆は許せない」と振り返った。

  ◆川内・温井義勇隊慰霊祭(平和記念公園)
 義勇隊の碑の前で約100人が黙とう。爆心地付近で建物疎開中に全滅した川内村(現安佐南区)内の温井地区から動員された義勇隊約180人をしのんだ。母満子さん=当時(37)=を亡くした遺族会の柳原有宏会長(80)は「母との思い出はなく、戦後は寂しかった。核兵器がなくなることを願う」と涙を拭った。

  ◆県立広島工業高原爆犠牲者慰霊式(南区出汐)
 遺族や教職員、生徒たち計約80人が校内の慰霊碑に集まった。建物疎開中などに亡くなった前身の県立広島工業学校の生徒、教職員計214人を悼んだ。同校1年の時に被爆した西岡誠吾さん(91)=廿日市市=は「亡くなった友達の顔が頭から離れない。生き残った負い目と、伝えていく使命を感じる」と話した。

  ◆広島市立広島商業高原爆死没者慰霊祭(平和記念公園)
 建物疎開中の多くの生徒が亡くなった市立造船工業学校の関係者や、流れをくむ市立広島商業高の生徒たち約50人が集まった。高齢化する遺族の中でただ一人参列した南区の若宮洋子さん(88)は兄昭夫さんをしのび「家族を失った悲しみは癒えないまま。体が動く限り来る」と力を込めた。

  ◆広島大付属中・高校原爆死没者・戦没者慰霊追悼の集い(南区翠)
 前身の広島高等師範学校付属中の慰霊碑に、生徒や教職員約30人が花や折り鶴をささげた。石田弓校長が「平和のために行動しよう」とあいさつ。市内の慰霊碑を英語で紹介するリーフレットを仲間と作る高校2年新開美織さん(17)は「核廃絶の思いを被爆地から発信したい」と話した。

  ◆嵐の中の母子像供養式(中区中島町)
 広島市地域女性団体連絡協議会の役員や会員約30人が、原爆資料館の南側にある像の前に千羽鶴を手向けた。山田豊子会長(72)=安佐北区=は「今も戦争が起こっており、悲惨な母と子の姿を見るのは苦しい」とウクライナの情勢などを懸念。「世界中の母親が平和な世の中の実現を願っている」と強調した。

  ◆県立広島第一高等女学校原爆犠牲者追悼式(中区小町)
 卒業生や流れをくむ皆実高の生徒約160人が、4年ぶりとなる吹奏楽部の演奏に合わせ、献花した。当時1年の妹文子さんを亡くした中区の奥本博さん(93)は「体力の続く限り参列したい」。生徒会長の2年田中春麗さん(16)は「被爆者から学んだことを後世に伝える」と誓った。

  ◆広島市女職員生徒原爆死没者慰霊式(中区中島町)
 慰霊碑前に広島市立第一高等女学校(現舟入高)の犠牲者の遺族や後輩の高校生約200人が集った。建物疎開に動員された1、2年生541人を含む犠牲者676人を追悼。2年平石彩弥乃さん(17)は「犠牲になった先輩たちを思い、平和の願いを次につなぐ責任を感じた」と話した。

  ◆旧制広島市立中学校原爆死没職員生徒慰霊祭(中区西白島町)
 流れをくむ基町高の慰霊碑前で遺族や在校生たち約250人が黙とうをささげた。西区の高田閏子(じゅんこ)さん(81)の兄久保田一幸さんは当時1年。小網町で建物疎開の作業中に被爆した。高田さんは「早くに子を失い、つらかっただろう母の気持ちを受け継ぐ」と毎年参列している。

  ◆県動員学徒等犠牲者の会原爆死没者追悼式(平和記念公園)
 遺族たち約60人が参加した。安芸太田町の二見吉康さん(73)は当時、県立広島工業学校1年だった兄に思いをはせた。兄は建物疎開へ向かう際に被爆し全身をやけど。「スイカが食べたい」と言って5日後に亡くなった。二見さんは「残ったきょうだいで元気でやってるよ」と手を合わせた。

  ◆原爆犠牲新聞労働者「不戦の碑」碑前祭(中区加古町)
 新聞・通信7社の犠牲者計133人の名前を刻んだ碑に、遺族や労組関係者たち約60人が手を合わせた。中国新聞社員だった伯母の名前がある会社役員神崎正臣さん(66)=東区=は亡き父に代わり、5年前から出席を続ける。「戦争を止める力は私にはないが、意思表示はできる」

  ◆国鉄原爆死没者慰霊式(中区東白島町)
 遺族やJR西日本の社員たち約110人が慰霊碑前で献花し、「原爆を許すまじ」を歌った。安芸区の西武さん(82)は、姉繁子さん=当時(25)=を捜す両親と一緒に市街地に入り、姉の遺体を大八車で自宅に連れ帰った。「きれいで優しい姉だった。子どもに先立たれた親の悲しみはいかばかりか」と声を震わせた。

  ◆日本損害保険協会中国支部「友愛の碑」慰霊祭(中区中島町)
 新納啓介協会長や損害保険会社の社員約100人が平和大通り南側の碑前で、犠牲者89人を悼んだ。父肇さん=当時(52)=を失った南区の高田勇さん(91)は、自宅の庭木で父も見ていたサルスベリの花を持参。「原爆で死んだ身内や同級生の分も生かしてもらった」と声を振り絞った。

  ◆鈴張地区遺族会慰霊祭(安佐北区安佐町)
 鈴張小近くの慰霊碑前に遺族や同小6年生たち約40人が集まり、犠牲者を悼んだ。伊井稔会長(86)は「戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に語り継ぐ」と決意を述べた。児童代表も「苦しい思いで亡くなる人がいない世界に」「二度と戦争が起きないために身近でできることをしたい」などと記した作文を読み上げた。

  ◆府中町原爆死没者慰霊式・平和祈念式(府中町本町)
 町役場そばの河川敷にある慰霊碑前に町内の小中学生や住民約120人が集った。府中中3年河野苺々(もも)さん(15)と府中緑ケ丘中3年西達矢さん(14)は「今も戦争や紛争で日常を奪われている人たちがいる。それぞれの行動で未来を変えよう」と平和メッセージを読み上げた。

  ◆原爆死没者追悼・平和祈念式典(大竹市)
 市総合市民会館敷地内の原爆慰霊碑「叫魂(きょうこん)」前であり、遺族たち約300人が参列。この1年に亡くなった41人を含む2530人の死没者名簿が奉納された。大竹高2年山根花さん(16)は「平和への誓い」で、「世界情勢について情報を得ながら現実に向き合い、平和な世界をつくる」と力を込めた。

  ◆湯来原爆死没者慰霊式・湯来中学校区「平和の集い」(佐伯区湯来町)
 湯来原爆被害者の会と地元の小中3校が主催し、約100人が参加。市湯来福祉会館でキクを献花し黙とうした。この1年で同会の被爆者は13人亡くなった。湯来中3年児玉大知さん(15)は「被爆者の話を聞ける僕らは貴重な時代を生きている。しっかりと語り継ぎたい」と誓っていた。

(2023年8月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ