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連載・特集

ゲンと私と 「はだしのゲン」連載開始50年 <5> 記者が選ぶ 心に残った場面

 今回の連載の取材を通じ、記者も漫画「はだしのゲン」を見つめてきた。原爆被害の悲惨さや家族の絆、苦難の中で生きる力…。作品のメッセージは多岐にわたる。連載の最後に取材を担当した20~40代の4人が、あらためて心に残った場面を振り返った。(画像は汐文社コミック版から)

苦しみの連鎖 心に重く

 ゲンの母は8月6日に女の子、友子を出産しました。原爆で父と姉、弟を失ったゲンにとって妹は希望です。原爆投下後の無残な広島と過酷な戦後を漫画で読み進める私にとっても友子は癒やしの存在でした。しかし、長くは生きられませんでした。

 友子の誘拐は衝撃的でした。ゲンが妹を捜し回る場面にハラハラしました。連れ去った側は、原爆で亡くなった自分の子どもの代わりに友子を「お姫さま」と呼んで、生きる支えにする姿にも胸が締め付けられる思いがしました。

 ゲンの周りには戦争で家族を失った人が相次いで登場します。どの人も苦しみ、時にはそれが原因で他人を傷つけます。負の連鎖が心にのしかかります。(赤江裕紀)

芽吹く麦 感じた生きる力

 「70年は草木も生えない」ともいわれた広島の焼け跡に麦が芽吹いたのを見つけたシーンは、ゲンの生命力を表しているようで心に残っています。原爆で突然家族を亡くし、生き残った家族や友人も次々と失っていく。何度打ちのめされても、小さなことに喜びを見つけ、決して生きる力を失わない主人公がこの作品の魅力だと思います。

 「ふまれても強くまっすぐにのびる麦に…」。母君江の言葉に、これまでに取材で出会った被爆者の方々を思いました。どの人も試練の多い戦後の日々を、まさに麦のように生きてこられた。私たちが暮らすこの広島には、原爆に遭った一人一人の人生が刻まれているのだと、あらためてかみしめました。(馬上稔子)

温かな先生の姿にほっと

 ゲンの通う中学校の太田先生は戦争反対のデモに参加したことなどで、職を追われてしまいます。先生を慕う生徒たちは「先生のおかげで数学が好きになった」「唯一わしのことを褒めてくれた」と口々に言います。

 いつも温かなまなざしを子どもたちに向け、「真の怒りを語る」太田先生の姿は強く印象に残りました。それは、私自身の小学校時代の担任の先生と同じだったからかもしれません。

 私たち子どもの言葉を信じ、味方でいてくれた先生です。間違ったことを許さない、強く優しい姿は今も鮮明です。時代は違いますが、ゲンの周りにも私と同じように真剣に向き合ってくれる大人がいたことに、少しほっとしました。(山本真帆)

少年同士の絆 胸が熱く

 白血病と分かって自暴自棄になり、死に場所を探し求める相原を勇気づけるため、ゲンたちはひと芝居を打ちます。野球が得意な相原を挑発し剛速球と鋭い変化球を投げさせたのです。

 ゲンは「プロ野球に入って本当に勝負せえ」と声をかけました。相原は涙を流し「命があるかぎり大投手めざしてやってみるわい」と誓います。少年同士の絆の芽生えに胸が熱くなりました。

 漫画の中には最初は殴り合いながらも、友情を育む場面がたくさんあります。登場する子どもは原爆で心と体に傷を抱えています。そんな相手の境遇をとことん理解しようとする真っすぐな主人公だからこそ、いつの時代でも読み手が感情移入できるのでしょう。(衣川圭)

「はだしのゲン」感想お待ちしています

 皆さんは「はだしのゲン」を読んだことがありますか。印象に残っている場面や登場人物とその理由を教えてください。ゲンと同じ時代を生きた方のご経験や、作品全体を通した感想もお待ちしています。ファクスは082(236)2321。LINEは「中国新聞くらし」のアカウントへ

(2023年8月7日朝刊掲載)

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