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連載・特集

緑地帯 西村すぐり 家族の戦争体験を残す⑤

 昭和20(1945)年8月6日、祖父は、被爆と同時に広島市中心部の停電を知る。当時、祖父は広島県坂町にあった火力発電所に勤めていた。今回はそんな祖父のヒロシマ体験をたどろうと思う。

 「坂におって、なんでわかるん」と尋ねると祖父は答えた。「電気はの、変電所があるけえ流れるんじゃ」。広島市街地が爆撃され、変電所はすべて機能を失った。

 広島湾をへだてて対岸にある坂町にも原爆の衝撃波は届き、ガラス窓などが破壊された。「広島でなんかあった」と、祖父たち発電所の技術者は、すぐさまトラックに機材と人材を積み、被爆地にのりこんだ。

 被爆後1、2時間で市街地へ入ったが、道路をふさいでいる、がれきを片付けながらトラックを進めなければならなかった。電気が復旧するまで、毎日通ったそうだ。のちに路面電車が被爆後3日で走ったことを知ったとき、もしかしたら祖父たちのがんばりの成果かもしれないと思えて、誇らしかった。

 帰りには、被爆して徒歩で呉方面をめざしていた男子中学生を、広島市街地で拾ったこともあったという。「会社の車じゃから呉までは送れんが、すまんのう」と、坂まで乗せたそうだ。「あの子は無事に帰ったかのう」と、祖父は心配していた。

 祖父は、のちに心臓を患い69歳で他界した。被爆から27年後の秋だった。(児童文学作家=広島市)

(2023年8月8日朝刊掲載)

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