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社説・コラム

天風録 『福山空襲とウクライナ』

 B29の大編隊が去った後、紅蓮(ぐれん)の炎に包まれた福山城は地響きを伴い崩れ落ちたという。体験談の多くに記述があった。旧市街地の8割を市民の誇りとともに焼き払い、355人の命を奪った福山空襲からきのう78年▲高温で燃えるゼリー状の油を詰めた筒状の焼夷(しょうい)弾を束ねて投下すると、空中で散開して街を焼き尽くす。米軍は大戦末期、無差別爆撃に突き進んだ。女性や子どもを含めた銃後の市民を標的にして戦意をくじくために▲「火事こそ武器」と木造家屋の多い日本向けの焼夷弾を開発した。畳をしつらえた長屋を実験用にわざわざ建ててまで。油の代わりに金属片を詰める爆弾もつくった。殺傷能力の高いクラスター(集束)弾と構造は同じである▲クラスター弾は子爆弾を広範囲にまき散らし、戦闘がやんだ後も不発弾が被害を生む。この非人道兵器をロシアが侵攻したウクライナで双方の軍が使っている。ウクライナの未来のため、せめて使用を止められないか▲きのう福山であった平和のつどいで、ウクライナから親子で避難している女性は「毎日人が亡くなっていることを忘れないで」と呼びかけた。市民を巻き添えにする戦争は絶対に許してはならぬ。

(2023年8月9日朝刊掲載)

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