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連載・特集

緑地帯 西村すぐり 家族の戦争体験を残す⑥

 今回は祖母の話。8月6日のそのとき、祖母は自宅の縁側に置かれた鏡台の前で、髪をとかしつけていた。当時、一家は坂発電所の社宅に住んでいた。家族が多かったので平屋の一戸建てを割り当てられていたそうだ。

 家族は夫婦と3男1女。18歳の長男は予科練に志願して四国に駐屯中だったが、長女は16歳になったばかり、下の2人は現在の中学2年と小学4年だった。その他に、関東方面の親戚から預かっていた小学3年と就学前の兄妹がいた。

 この兄妹は昭和19(1944)年のミカンの季節にやってきた。食糧不足でも広島ではミカンが手に入りやすかった。関東から来たこの幼い兄妹は、栄養があるからと、皮ごと食べるよう母親からしつけられていた。祖母がいくら皮をむくよう言っても、隠れて皮を食べていたそうだ。

 8月6日の朝、夫は敷地内の発電所へ出勤、息子たちはそれぞれ学校へ、娘も出かけたあと、家には祖母と5歳の女の子のふたりだけが残っていた。

 強い光。縁側は爆心地とは反対側にあり、閃光(せんこう)は直接見えなかった。大きな音と室内に異変を感じ、祖母は、避難するために女の子をかばいながら外へ。そのとたん、なにものかにふき飛ばされ、女の子を抱きかかえたまま、家を囲む板塀の木戸にたたきつけられた。衝撃は2度あったのだ。爆心地側の窓ガラスは砕けて奥のふすまに突き刺さっていた。

 祖母の鏡台は、姿見を兼ねた縦長の一枚鏡で、床に正座して使うタイプだ。祖母がいなくなった今も、祖母の部屋だった畳にひっそりと置かれている。(児童文学作家=広島市)

(2023年8月9日朝刊掲載)

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