×

ニュース

手焼き煎餅112年 「芸陽堂」歴史に幕 中区 来月末で 頼山陽や原爆ドームの焼き印 手土産として重宝

立ち退き要請や原材料価格高騰 常連客から惜しむ声

 昔ながらの手焼きで親しまれた広島市中区堺町の「頼山陽煎餅(せんべい)本舗 芸陽堂」が9月30日、閉店する。明治末期から続く創業112年の老舗。店舗の立ち退き要請や、原材料の価格高騰にあらがえず、惜しまれつつのれんを下ろす。(鈴木愛理)

 今月に入り、店頭の張り紙や得意先へのはがきで閉店を伝えた。すると電話が鳴りやまない。移転して営業を望む声、体調を案ずる声…。来店する9割以上がリピーターだけに、お客の思い入れもひとしおだ。

 頼山陽の座像や原爆ドームなどの焼き印が押され、手土産として重宝されてきた。九つの焼き型を使い、1日約700枚を弱火でじっくり焼く。材料は小麦粉、卵黄、砂糖だけ。香ばしい香りは店先にも漂う。製造担当の岡本浩史さん(62)は「炎が揺れると焼きむらができる。夏もエアコンなしで焼く」と汗を拭う。

 岡本さんの義母で店主の平室(ひらむろ)敏子さん(85)たちによると、1911年に塩屋町(現中区大手町)で創業。「頼山陽煎餅」は江戸後期の儒学者で広島ゆかりの頼山陽にちなみ、「芸陽堂」の屋号は評論家の徳富蘇峰が名付けたという。店を手伝っていた平室さんの義父勝三さんが店を受け継ぎ、戦後に現在地へ移った。

 50年来の常連という近くの主婦中村洋子さん(74)は「手作りならではの素朴なおいしさがあり、喜ばれる贈り物の定番だった」と惜しむ。平室さんたちは移転して営業することも考えたが、年齢や材料費の高騰もあり廃業を決断した。

 平室さんは「まだ体は元気。続けられないのは残念だけれど、お客さんの温かい声があったから今がある」と、あふれる思いをかみ締める。創業当時と変わらない焼き方を最後の日まで貫き、お客の笑顔を見届ける。

(2023年8月9日朝刊掲載)

年別アーカイブ