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連載・特集

緑地帯 西村すぐり 家族の戦争体験を残す⑦

 叔父は昭和20(1945)年当時、広島県坂町にあった坂国民学校の4年生だった。現在の小学校4年生だ。

 8月6日の朝、いつも通り登校し荷物を教室に置いて校庭へ出た。ブーンと音をたてて上空をアメリカ軍の飛行機が飛び、何かを落とした。朝日を反射してキラキラ光る落下傘だった。「きれいじゃのう」と見あげていたら、突然の強い光。そして、ガラスが割れる音がした。「少したってババーッときた」と、叔父は語った。爆風は立っていられないほどだった。

 教師たちの「家へ帰れ」という声で、荷物を取りに教室へ戻った。建物は無事だったが、入り口から中の様子を見ると天井板が浮いて床には壊れた窓ガラスが散らばっていた。それでも、土足厳禁だからと、律義に靴を脱いで裸足で教室へむかった。校舎の内部は、ひっかき回されたようにぐちゃぐちゃで、物やガラスが散乱していた。荷物を探すどころではなく手ぶらで家へ帰った。

 当時父親が勤めていた坂発電所の社宅に帰ると、家の中へ入れないくらい室内の物が壊れている。砕けた窓ガラスが部屋の奥のふすまや壁に突き刺さっていた。数日たって荷物を取りに学校へ行くと、被爆して逃げてきたけが人が、講堂にぎっしり横たわっていたそうだ。

 「思い出したくもないから、だれにも話したことはないんじゃが」と前置きをして、叔父は話してくれた。あの日を知る家族が叔父だけになったからかもしれない。そして、最後に言った。「あのとき、校舎へ土足で入るという考えには至らんかった」。そういうご時世だったのだ。(児童文学作家=広島市)

(2023年8月10日朝刊掲載)

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