×

社説・コラム

[ひと まち] 広島のように立ち直れる

 原爆ドームを見つめ、スケッチブックに鉛筆を走らせる男性に出会った。中国河南省からの留学生、余書全さん(27)=広島市安佐南区。「広島のおかげで、もう一度頑張ろうと思えたんです」。おもむろに口を開いた。3年前の春に来日するまでは「もう死のうかと考えていた」とも。

 広島市立大大学院芸術学研究科の2年生。中国の大学ではアニメーションを学んでいた。家では父親が身重の母親や自分に暴力を振るい、逃げ出したい日々だった。ふと中学時代に夢中になった日本の映画やアニメを思い出し、留学を志した。

 進学するまで広島を訪れたことはなかった。「今も廃虚の街だと思っていました」。中国のテレビでは、被爆直後の広島しか見た記憶がなかったからだ。

 東京の大学の面接を受けた後、広島に立ち寄り、想像と違う景色に仰天した。空港の周りには豊かな自然、市街地にはビル―。「ここに住めば、広島の復興のように僕の心もきれいになれるかな」との思いが湧いた。

 初めは日本語がうまく話せず、友達づくりに苦労した。食事中もメモを片手に勉強し、多くの出会いに恵まれた。昨年は、友人の勧めで修学旅行生にヒロシマを伝える「ピースバディ」の活動を始めた。

 そこで出会った1人の被爆者に衝撃を受けた。求めてもいないのに、日本の加害について謝られた。中国では南京大虐殺を詳しく学び、日本は敵だというイメージがあった。だが「敵でも理解する価値がある」「平和な世界の実現も不可能ではないかもしれない」と考えるようになった。

 最近は「父のことも理解しようと思うようになった」という。取り組んでいるのは、家庭内暴力をテーマにした映像作品の制作だ。「同じように悩んでいる人に『逃げてもいいんだよ』と伝えたい」。あえて自分が傷ついた過去をテーマにするのは、自分が前に進むためでもある。広島との出合いが、余さんの背中を押している。(鈴木愛理)

(2023年8月10日朝刊掲載)

年別アーカイブ