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連載・特集

緑地帯 二口とみゑ 明子さんのピアノと出会って②

 私が娘3人を連れて遊びに行くようになった河本家は、老夫婦2人で規則正しい生活を送られ、毎日午後3時にお茶の時間をもたれていた。スコーン、レモンパイなどは、米国仕込みのシヅ子さんの手作りだった。コーヒーはラクダの絵が付いた赤い缶からのドリップ。米国製の小瓶に入った宝石のようなドロップを娘たちは今も覚えている。

 「どれがお好き?」と差し出された箱には、銀色のスプーンがたくさん入っていた。「スーベニアスプーン」というのを初めて知った。源吉さんは戦前の米国在住時代、保険会社に勤務。社内旅行には必ず妻のシヅ子さんを伴い、「思い出に」とスプーンを買った。

 居間にはリンカーンが座るような大きな椅子の前に、古びたアップライトピアノがあった。長女は習ったばかりの曲を得意そうに弾いた。「ママ、変ねぇ。出ない音があるよ」。押さえると戻らない鍵盤があった。私は「どなたが弾かれていたのかしら?」と思った。左の側板には無数の傷痕があり、ガラスの破片が突き刺さっていた。シヅ子さんは「ここには触らないでね。けがをしたらいけないからね」とだけ言われた。

 側面の傷は「8月6日」の爆風によるものだと知ったのは、それから何年もたってからのことだった。ピアノは、源吉さんが米国時代に購入したボールドウィン社の1926年製で、長女の明子さんが6歳から原爆で亡くなる19歳まで弾いていたものだった。(HOPEプロジェクト代表=広島市)

(2023年8月16日朝刊掲載)

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