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社説・コラム

天風録 『戦災樹木』

 火の手から逃れてきた人たちが境内にある大木の下で身を寄せ合う。炎が勢いを増し、みんなが死を覚悟した瞬間、大木が水を吹き上げ、全員救われる。京都では史上最大規模となった1788年の「天明の大火」の逸話が本能寺に伝わる▲その大木はイチョウだった。厚い葉に水分を多く含み、防火に力を発揮する。似た性質はモチノキやシイ、カシなどにもあり、人や建物を守ってきた。脂分の多い松にはできない芸当だ▲東京の浅草寺には「水吹きイチョウ」と呼ばれる木がある。関東大震災による火災から約7万人を救った上、焼夷(しょうい)弾の雨が降った東京大空襲にも耐え抜いたという。貴重な歴史の証人だ▲そんなふうに身をもって戦争の惨禍を知る樹木を明治大の菅野博貢准教授らが精緻に調べている。今までの成果をまとめ、「甦(よみがえ)る戦災樹木」を今春出版した。文献や証言などで戦災を受けたと確認できた樹木は、都内だけで200本を上回るそうだ▲広島、長崎に被爆樹木があるように、それぞれの地にも戦災を知る樹木があるはずだ。敗戦から78年、戦争体験者は少なくなるばかり。せめて木々の持つ記憶を掘り起こして、耳を傾けたい。きょう終戦の日―。

(2023年8月15日朝刊掲載)

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