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社説・コラム

社説 [地域の視点から] 終戦の日 足元の記憶 どう語り継ぐ

 きょう終戦の日を迎える。中国地方は広島への原爆投下をはじめ、あの戦争の時代にさまざまな惨禍を経験した。

 古里を離れ、戦地で命を落とした人々の無念や残された遺族の苦労は計り知れない。さらに言えば日本の戦争や植民地支配によって甚大な被害と苦痛をもたらした国々のことも当然、忘れたくない。

 日本の敗戦から78年。世界が大きな危機に直面する今こそ、戦争が何をもたらすのかを直視したい。足元の記憶を地域で、そして家族で語り継ぐ営みを粘り強く続けたい。

 その一つが中国人強制連行という負の歴史だろう。1944年から広島県安芸太田町の安野発電所建設工事には中国から市民や元捕虜たち360人が連行され、過酷な労働を強いられた。その名を刻む碑=写真=が発電所の脇に建立されて13年になる。

 犠牲となった29人には広島で被爆死した5人も含まれている。日中の民間有志が終戦後に帰国できた人々から聞き取り調査を進め、ほぼ全容を明らかにした。工事を請け負った西松建設が相手の民事訴訟は和解が成立し、同社の拠出金を基に、個人補償や和解と交流の事業も営まれた。

 民間主導の戦後補償のモデルとされた「安野」も地域の関心は薄らぎがちだ。交流事業の流れをくむ市民グループはこの夏、若い世代のフィールドワーク向けの冊子を発行した。日本が国策で推進した中国人強制連行の全体像を検証し、その中で安野、広島で何が起きたのかを、中国人被害者と地元住民の証言などから分かりやすく伝える。

 この冊子が目を引くのは、戦争の記憶を地域で掘り起こしてきた民間の活動が担い手の高齢化などで先細り、継承に課題を抱えるからだ。例えば空襲の実態解明がそうだ。また旧陸軍が毒ガスを製造した日本を代表する負の遺産、大久野島(竹原市)も元工員らの証言による継承は難しくなった。

 かといって地域住民の戦争体験を記録し、発信している自治体は、原爆被害以外では現時点で数えるほどだ。

 高校の歴史教科書で先の大戦の記述を見てみた。学徒出陣、勤労動員、学童疎開、代用食、沖縄戦や本土空襲といったキーワードが並ぶ。机の上の学習で生徒たちがどれほど実感できるだろう。自分たちが暮らす地域が戦争とどう関わったのか、深く知る機会がもっとあってもいい。

 このところの防衛力強化の動きに「いつか来た道に戻らないか」と感じる戦争体験者は少なくない。戦争はもうたくさん―。焦土の古里で抱いた実感が、地域の中でさらに風化することを危惧する。

(2023年8月15日朝刊掲載)

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