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連載・特集

緑地帯 二口とみゑ 明子さんのピアノと出会って①

 約30年前、勤務先の学校からの帰宅時、バス停でおしゃれな老婦人に話しかけられた。そのころ私は日本の学校で学ぶ外国籍の子どもへの日本語教育に携わっていた。「お茶にいらっしゃいな」。老婦人の名前は河本シヅ子さん。ご近所のしゃれたお宅に夫の源吉さんと2人暮らし。私は娘たちを連れて遊びに行くようになった。

 源吉さんは福山市で生まれ、1910年に米国に渡った。シヅ子さんは両親が広島市出身でハワイ生まれ。2人は22年にロサンゼルスで結婚。長女の明子さんと長男も生まれ、幸せな日々を送ったが、日本の国際連盟脱退などの世界情勢を受けて33年に帰国。広島市三滝町(現西区)に家を構えた。80年代、私が訪れた河本家は、戦前からのたたずまいを残していた。洋風の応接間には古いアップライトのピアノが置かれていた。

 2001年、田辺孝二さん(当時、中国経済産業局長)は「働くために来日する外国人が心配するのは子どもの教育だ」と言われ、私が設立した団体に「Hiroshima Overplaces People’s Education」(HOPE)と命名された。現在、一般社団法人HOPEプロジェクトは日本語教育とともに、被爆した「明子さんのピアノ」を通じた平和活動に取り組む。あの日、バス停では思いもよらなかったことだ。 (ふたくち・とみゑ HOPEプロジェクト代表=広島市)

(2023年8月15日朝刊掲載)

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