×

連載・特集

『生きて』 竹原高校野球部監督 迫田穆成(よしあき)さん(1939年~) <9> 監督で日本一

勝ちを決めたスクイズ

  ≪選抜大会優勝を逃したチームは、夏の広島大会を制し、再び甲子園へ。優勝を目指し、勝ち進む≫
 準々決勝の高知商戦が一番、しんどかったですね。一回に3点取ったけど、2番手で巨人と西武で活躍した鹿取(義隆)が出てきた。打てずにいたら六回、1点差まで迫られた。ちょっとやけになって「ノーサインで自由にやれ。ホームランを狙ってもいいよ」と言った途端、(元広島の)達川(光男)が高めのくそボールを打って2ランですよ。本当は、点が取れずに「ノーサインだと野球にならないだろう」と言いたかったんですけど、見事にもくろみが外れました。

  ≪準決勝も勝ち、自身が高校3年だった1957年以来となる日本一に王手をかけた≫
 静岡との決勝でしたが、この試合、守りに追われてあまり試合の記憶がないんです。三回、相手のスクイズを見破って外したんですが、静岡はスクイズのサインだけは監督ではなくて、部長が出していました。事前に見破っていたから、防げた失点でした。

  ≪試合は2―2の九回1死満塁のチャンスで、2ストライク2ボールからの5球目にスリーバントスクイズを決めてサヨナラ勝ち。広島商は夏の甲子園5度目の日本一に輝いた≫
 2ストライクからのスクイズは、70年夏の広島大会決勝でもしたことがあるんです。相手は広陵で、エースは広島でも活躍した佐伯(和司)君。延長十回にスクイズで1点入れて勝った。2ストライクの後のスクイズは効くんだという実感を持ちました。いつか甲子園でやってやろうと思って、広島県内の試合では試さず、県外に行った練習試合でよくやっていました。決まった瞬間は「やったあ」という満足感がありました。

  ≪精根尽き果てた決勝だった≫
 決勝の朝、たまたま体重を量ったら普段より3キロ重い84キロあった。甲子園に行ったら、普段より練習時間は少ないし、いいもんを食べるから仕方ないかと思っていたら、試合が終わって宿舎で量ると、81キロに戻っている。相当、頭を使ったんだなと思いました。

(2023年8月15日朝刊掲載)

年別アーカイブ