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社説・コラム

『潮流』 園井恵子の古里

■論説主幹 岩崎誠

 東日本大震災の取材で岩手県を訪れた折、その町に立ち寄って10年になる。園井恵子の古里、岩手町。広島で原爆に遭って命を落とした元タカラジェンヌの生きざまを、地域で語り継ぐ。

 宝塚歌劇の門をたたいた少女時代の園井をかたどる銅像があり、そばの資料室は多彩な役柄に扮(ふん)する写真にあふれていた。戦時下に宝塚を去って映画「無法松の一生」で脚光を浴び、移動演劇隊「桜隊」に加わった園井。広島の宿舎で迎えたあの日は、くしくも32歳の誕生日だった。

 初の本格評伝「園井恵子」(国書刊行会)が出た。著者の千和裕之氏は理学療法士。リハビリの仕事で訪ねたお年寄りが園井の小学校の同級生だった縁で波瀾(はらん)万丈の歩みを丹念に追ったそうだ。

 本名袴田トミ。前半生は分からないことも多いという。親族のいる北海道・小樽に移るも女学校を中退し、15歳で岩手の実家から何のつてもない宝塚に単身、飛び込む。演技派として地歩を固めるが破産した家族を支えるため貧乏が続き…。

 大手の誘いを断り、演劇人としての苦労を選んだ結末が被爆死というのはやるせない。被爆直後に逃げる園井を見かけた市民が「『無法松』に出た人が…」と語るなど、日本人の記憶に残った俳優。たどりついた神戸で15日後、息をひきとった際には「眠っているようで美しかった」と千和氏の評伝は記す。

 10年前の縁から、岩手の「園井恵子を語り継ぐ会」から定期的に連絡をもらう。生誕110年の今月は20日に「偲(しの)ぶ会」を営み、4Kデジタルで修復された「無法松」を上映するという。遠いみちのくで、広島の悲劇に思いを寄せる人たちのことも忘れまいと思う。

(2023年8月12日朝刊掲載)

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