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連載・特集

『生きて』 竹原高校野球部監督 迫田穆成(よしあき)さん(1939年~) <8> 豪腕・江川

攻略への作戦考え抜く

  ≪監督に就任して5年目の1972年秋。知人のプロ野球スカウトから好投手のうわさを聞く≫
 「関東にすごい投手がおる。今プロに入っても15勝できる」と言う。まだビデオのない時代。新チームは打力がなかったので、どうしたもんかと、見たことのない投手に思いを巡らせていました。

  ≪好投手は、巨人で通算135勝を挙げた作新学院(栃木)のエース江川卓だった≫
 どこを攻められたら嫌か、相手の立場になって考えました。高校野球だから投手も捕手も両方すごいことはないだろう。結論は、投手ではなく捕手を攻めることでした。1死二、三塁の好機をつくり、打者はスクイズをわざと空振り。三塁走者が挟まれている間に二塁走者が走ってきて、三塁走者が内側に倒れて捕手がタッチに行く瞬間、二塁走者がその外側を走って生還する作戦でした。

  ≪秋の中国大会で優勝。翌春の選抜大会出場を確実にし、練習にも熱が入った≫
 どの打者の時に1死二、三塁になるか分からない。全員で毎日1時間練習した。三塁走者の倒れる位置と二塁走者がスタートを切る位置、攻める方、守る方もどうやったら成功するか考えました。

  ≪選抜大会ではともに勝ち進み、準決勝で対戦が実現する≫
 ファンは、江川が三振を取るのが見たいんです。江川がプレートを踏むと、球場全体が静まり返りました。うちはストライクゾーンを60分割したうちの外角低め1点だけに狙いを絞り、ファウルを打って球数を投げさせる作戦を採りました。外角低め以外の球での三振はOKでした。

  ≪考え抜いた作戦を実行する機会はなかったものの八回、相手捕手の悪送球で決勝点を挙げて勝利。横浜(神奈川)との決勝は1―3で敗れ、準優勝に終わった≫
 準決勝もうちが勝ったんじゃなくて、相手が負けてくれた。うちが本当に強かったら優勝していた。広島に帰ると、この打力だと勝てないと選手たちが自主的に1日500回以上スイングするようになった。大きな収穫でした。

(2023年8月12日朝刊掲載)

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