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連載・特集

緑地帯 西村すぐり 家族の戦争体験を残す⑧

 叔母は国民学校の高等科(現在の中学校)を卒業後、習い事などをしていたという。16歳で終戦を迎える。戦後の叔母は坂発電所に勤め、昭和27(1952)年に父親の部下だった人と結ばれ神戸に移り住んだ。2人の子供にも恵まれた。昭和35年に病死。その時小学1年生だった叔母の長女は子供心に、原爆に関することは聞いてはいけない気がしていたという。聞かなかったことを、今、後悔している。

 あの日の叔母を知る家族は、当時9歳だった叔父ひとりになった。叔父は、昭和20年8月6日の朝、「姉さんは外出していて家にいなかった」と話す。一家は、祖父が勤める坂発電所の構内にある社宅に住んでいた。あの日、叔母がどこでなにをしていたのかまったく覚えていないと、叔父は首をかしげる。

 叔父が思い出すのは、学校や家の中が原爆の爆風でぐちゃぐちゃになっていたことなど、強烈に印象に残る自身の体験についてだ。戦争の記憶を80年近く封印してきた叔父にとって、早世した姉は、やさしく美しく物静かな人だったという、おぼろげな存在となっていた。

 戦争を思い出したくない、話したくないというのは、仕方のないことだ。伝承の大切さに気づいて話す人も、すべてを語ることはまれだ。聞くほうも、それなりの覚悟がいる。語られる戦争体験は、ジグソーパズルのピースのようだ。数えるほどしかないかけらをたよりに、空白を埋めて一枚の絵を復元するのが作家の仕事かもしれない。

 まだ、遅くない。一言も聞きもらさないよう、耳と心を開放しておこうと思う。(児童文学作家=広島市) =おわり

(2023年8月11日朝刊掲載)

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