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BC級戦犯の叔父 伝えたい 広島出身の元憲兵大尉・妻苅さん遺族 日記・遺書発見 「翻弄された歴史 後世に」

 太平洋戦争中に旧日本軍の憲兵としてベトナムで従軍し、BC級戦犯として処刑された広島市出身の男性の足跡を、東区に住む遺族が掘り起こした。裁判記録や獄中日記からは、戦争に翻弄(ほんろう)された軍人の姿が浮かぶ。終戦から78年。遺族は「忘れ去られてはいけない」との思いを強め、資料を後世に残したいと願う。(小畑浩)

 男性は広島県戸坂村(現東区)出身の元憲兵大尉、妻苅(つまがり)悟さん。32歳だった1948年4月、中国・上海で死刑を執行された。墓に遺骨はない。

 めいの中原早苗さん(79)=東区=は、実家にある遺影の柔和な表情と憲兵の恐ろしいイメージとのギャップを感じて育った。中原さんの三男健三さん(47)は、墓参りでも話題から避けられる大叔父のことが「まるで存在自体がなかったかのよう」と気がかりだった。

 転機は昨年2月。図書館で借りた戸坂地区の郷土誌に、妻苅さんに関する記述があった。体が不自由で自宅療養中の健三さんは「調べれば消息が分かるかもしれない」と、母に調査を頼み込んだ。早苗さんは関連の本を探し、専門家や国立公文書館(東京)に問い合わせて裁判記録や同僚の証言を見つけた。

 記録によると、妻苅さんは43年4月、南方軍第一憲兵隊の一員としてベトナムに入った。終戦後の46年4月、帰国船の出発間際に中国軍に逮捕され、「広東裁判」で非軍人を虐待し死なせたなどとして死刑判決を受けた。

 今年にかけ、実家の納屋や親族宅から遺書や手紙、中国・広州の獄中で書いた日記の写しが大量に見つかり、足跡や人柄も浮かび上がってきた。日記や遺書には「一日として一時として忘れる事の出来ない」と、古里に残した7歳下の妻への思慕がつづられていた。

 出国直前に結婚し、一緒に過ごしたのは5日間。遺書の最後には「散る花を追ふ勿(なか)れ」とあった。遺書は、妻の離縁後に実家へ届き、当人は読んでいないとみられる。早苗さんは「相手国の人たちも含め、互いの人生を台無しにする残虐さが戦争にある」と受け止める。

 健三さんは「生の声を記した資料を、このまま埋もれさせては忍びない」との思いを募らせる。「中立的な施設で保管し、引き継いでほしい」と望み、寄贈先になる施設や団体を探している。

BC級戦犯
 第2次世界大戦後の連合国軍側の軍事裁判で、日本軍による捕虜虐待など非人道的な行為の責任を問われた現場の士官や下士官。米国、英国、中国、オランダなど7カ国による49カ所の法廷で5700人が起訴され、900人以上が死刑判決を受けたとされる。

(2023年8月11日朝刊掲載)

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