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連載・特集

『生きて』 竹原高校野球部監督 迫田穆成(よしあき)さん(1939年~) <12> 指導方針

選手の中心 4人を指名

  ≪広島商、如水館、竹原と学校は替わっても、基本的なチームづくりの考え方は変わらない≫
 上級生で、試合に出ている選手の中からリーダーを4人指名します。その4人に伝えたいことを話せば、自然とみんな伝わっていきます。怒るときも4人を怒るし、逆にこんな練習をしたい、と提案してきたら聞いてあげる。選手全員に一様に接するのが理想だけど難しい。中心の4人が自覚を持って、生徒が生徒を教えるようになれば、チームはうまく回ります。

  ≪試合では自らの性格を使い分けていた≫
 僕はいらち(気が短い)。だから試合では若いカウントから作戦を仕掛けたいタイプです。練習試合では、どんどん仕掛けて「迫田は動くぞ」というイメージを植え付けておく。逆に、夏の広島大会が始まると、サインを出すのをぎりぎりまで我慢していました。警戒させて、自分から崩れてくれるのを待つのも作戦でした。

  ≪夏の大会前の調整法も独自の考えがある≫
 開幕の20日前からレギュラーの練習量は半分に落とします。控えが4時間するなら2時間。選手は「こんなんでいいんか」と不安になるけど、じき慣れる。プレーしたい気持ちになって開幕を迎えられます。ノックは基本に戻ります。内野の場合、捕球しようとする瞬間に合わせて走者を目の前に走らせる。野手は球が見えにくくなるから、腰を落として捕球しようとするんですね。その姿勢がいいんです。

  ≪成功例が、如水館が初めて甲子園に出場した1997年≫
 春の県大会は、たしか2回戦でコールド負け。(夏の)大会が近いのに練習を減らしたから、選手は不安そうでした。でも、高校生がずっと気持ちが張った状態を保つのは難しい。甲子園が終わって帰ってくると、3年生が下級生に「絶対、監督の言うことを聞け。そしたら必ず甲子園に行ける」って念押ししているんです。しめしめと思いました。98、99年と続けて甲子園に出られたのは、それが大きかった気がします。

(2023年8月19日朝刊掲載)

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