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連載・特集

緑地帯 二口とみゑ 明子さんのピアノと出会って⑧

 1945年8月6日の朝、体調が悪かった明子さんは、父の源吉さんから「いかんでもええ!」と強く言われながらも勤労奉仕に出かけた。爆心地から800メートルの建物の前で被爆。何とか3キロ離れた三滝の自宅へとたどり着いた。

 布団に寝かされた明子さんは、「なんでこんな目にあったのか。きっと父の言うことを聞かなかったからだ」と自分を責め続けたのだろう。「お父さんごめんなさい」と繰り返していたと、明子さんの幼なじみで河本家に疎開していた亀井宏子さんから聞いた。最期の言葉は「おかあさん…赤いトマトが食べたい」だった。突然、まな娘を失った両親は、庭の柿の木の下で亡きがらを荼毘(だび)に付した。そして源吉さんは娘の冥福を祈って髪をそられたという。

 今も世界中に「明子さん」がいる。日々の生活が戦争によって破壊され、子どもたちの命が奪い去られ、言葉にできない悲しみを抱く親たちがいる。

 今夏、「明子さんのピアノとパルチコフさんのヴァイオリン」(ガリバープロダクツ)を共同執筆・刊行した。二つの被爆楽器の物語を平易な文章でつづっている。ぜひ、子や孫と一緒に読んでいただきたい。

 明子さんのピアノと出会って30年余り。明子さんのメッセージに従って、私は歩んできた。平和が実現するまでメッセージは送られ続けてくるだろう。未来の人たちにも、受け止めていただきたいと願う。 (HOPEプロジェクト代表=広島市)=おわり

(2023年8月25日朝刊掲載)

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