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[被爆建物を歩く] 旧広島港湾事務所(広島市南区) 風雨で進む劣化 「生きた」活用は

 広島市内に唯一残る明治の木造洋風建築で、建築学的にも貴重だという。「旧広島港湾事務所」(南区)は、レトロな港町風情を思わせるたたずまい。だが風雨にさらされ劣化が進む。県は12年前から立ち入り禁止にしている。

 1909年に広島水上警察署として建った。2階建てで左右対称の造り。基礎部分は花こう岩で、半円形の換気口が特徴的だ。当初は海に近い南側に正面玄関があった。37年に宇品警察署(現広島南署)が引き継ぎ、その8年後、広島に原爆が投下された。

 爆心地から4・6キロ。爆風で屋根が浮き上がり、梁(はり)が一部折れた。窓ガラスも割れて散乱した。広島原爆戦災誌によると、署長たち数人がすぐに出動し、御幸橋東詰め(同区)に救護本部を設置。被災者を陸軍共済病院(現県立広島病院)に行くよう指示したり、応急処置をしたりしたという。

 96年に市の被爆建物リストに登録されたが、老朽化が激しく2010年から「空き家」になっている。県は耐震化や改修に費用がかさむとして商業施設としての再活用などを検討したが、断念した。県土木建築総務課は「引き続き維持管理は続ける」としている。

 市は計86件の被爆建物を登録しており、その平均築年数は約150年。市内最大級の被爆建物「陸軍被服支廠(ししょう)」は市民の訴えが実り保存が決まった一方、将来残されることが確実ではない建物が少なくない。被爆の惨状を後世に伝える上で、お金で計れない価値とは。被爆建物の「生きた」活用方法は―。一度壊せば、取り戻せないことだけは確かである。(湯浅梨奈) =おわり

(2023年8月28日朝刊掲載)

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