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社説・コラム

天風録 『尾道と豆腐』

 まだまだ暑さがこたえる。瀬戸内沿岸に暮らしていると夕凪(ゆうなぎ)の熱をまとって家路に就く。こんな日は、たちまちビールと冷ややっこに限る。幸せはたった半丁冷奴(辻中悦子)▲尾道で代表作「東京物語」を撮影した小津安二郎監督に、こんな言葉がある。「私は豆腐屋のような映画監督なのだから、トンカツを作れといわれても無理で、せいぜいガンモドキぐらいだよ」。大豆と水とにがりだけで作る、まっとうな豆腐屋さんへの敬意を込めたに違いない▲そんな巨匠へのオマージュといえよう。「高野(たかの)豆腐店の春」が広島や山口で公開中だ。舞台は平成の終わりごろ、尾道の小さな豆腐店。頑固で職人気質の父と、離縁して戻り家業を手伝う気立てのいい娘の物語である▲尾道の風景や街の匂い、風や日差しまで全てが「映画を作る力になった」と、脚本も手がけた三原光尋監督は振り返る。互いを思う親子のすれ違いや、戦争や被爆を背負う人生に訪れた新たな出会いが丁寧に描かれる▲パンフレットに添えられた言葉がいい。〈柔らかくて、甘くて、でもちょっと苦みもある。豆腐は、なんだか人生に似ている〉。映画館を出たら、食べたくなること請け合いである。

(2023年8月26日朝刊掲載)

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