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社説・コラム

『潮流』 100年前の震災画

■論説委員 田原直樹

 眺めがいいと聞いて、東京から乗ったJR東海道線の列車を神奈川県西部の根府川(ねぶかわ)駅で降りたことがある。

 背後に山が迫る高台の無人駅のホームから太平洋を望んだ後、駅を巡ると、小さな石碑がある。

 関東大震災殉難碑―。震災で崖崩れが発生し、ちょうど駅に着いた列車をのみ込み海へ。ホームにいた人や駅員を含め死者130人以上を出す大惨事が起きた地だった。

 改めて駅の背後の山を見上げて背筋が寒くなった。今、どこかで起きてもおかしくない災害だ。

 100年前のその瞬間は想像するしかないと思っていたら先日、鮮烈にイメージできた。東京・両国の都復興記念館にある「震災画」に、まさにその場面があった。

 崩れる建物、焼け落ちる橋、すさまじい火災旋風など、大画面がさまざまな場面を伝える。迫力ある筆致で生々しく、痛ましい。中に、根府川で崩れた崖が列車もろとも海へ落ちる場面もある。

 描いたのは岡山県和気町生まれの洋画家徳永柳洲(りゅうしゅう)(本名・仁臣(ひとおみ))。渡欧もした画家で、新聞「萬(よろず)朝報」では似顔や相撲の挿絵を描く仕事をした。

 震災当日、自らも被災しながら門下生らと被災地をスケッチして回り、目の当たりにした阿鼻叫喚(あびきょうかん)を描き留めた。デマから朝鮮人らを虐殺した「自警団」の絵もある。

 震災は写真や映像も多い。今は動画も撮られるはずだ。だが絵でこそ伝わる何かがありそうだ。

 徳永らは一月もたたぬうちに絵を仕上げ「移動震災実況油絵展覧会」として巡回させた。被災の様子を広く伝え、義援金を募っている。

 学ぶべきものがたくさん描き込まれた震災画から、災害列島に生きる私たちを見つめ直したい。

(2023年8月26日朝刊掲載)

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