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ゲンと私と 「はだしのゲン」連載開始50年 反響編 印象に残った場面や作品への思い

 漫画「はだしのゲン」の連載開始50年に合わせて今月上旬、くらし面で連載した「ゲンと私と」。読者の皆さんから、印象に残った場面や作品への思いが寄せられた。一部を紹介する。

「ハエになった息子…」 親になって気持ち理解

「戦争はいけない」と言えない風潮怖い

  ■広島市東区の主婦小西博子さん(74)
 父母が被爆し、私は被爆2世です。兄は2歳の時、今の広島市西区の観音地区で被爆し、20年後に白血病を発症しました。急に耳から出血。いい薬も治療法もありませんでした。わずか半年ほどで亡くなりました。私が高校2年の時です。

 はだしのゲンの中で、兄の姿と重なって見える登場人物がいます。ゲンの初恋の相手で、勤めていた看板屋の社長の娘光子さんです。原爆が落とされた日、父と姉と弟を助け出せなかったゲンは、同じように母と弟を炎の中から助けられず、自分を責める光子さんと、手を握り合ったのです。

 一緒に宮島に出かけるなど青春を楽しんでいた2人。でも、その時間は短かった。光子さんも急性白血病で命を落としたのです。忘れた頃に病気を引き起こすのが、放射線の怖さです。光子さんが亡くなる場面は、胸にぐっと重く迫ってきました。

  ■東広島市の団体職員女性(49)
 母親が、原爆で亡くなったわが子にうじがわき、その体から出てくるハエを「生まれ変わり」だといとおしむ―。私が親になってから読み直し身につまされた場面です。ハエになった息子が話しかけてくれていると思ったら、追い払うこともできないという気持ちは分かります。決して創作じゃない。見たり聞いたりしないと描けないと思いました。

 こんな原子爆弾は存在してはいけません。以前から「一瞬にして」という言い方に違和感を持っていました。一瞬でたくさんの命が奪われたのも確かですが、多くの人は長い時間をかけて殺され、生き残った人もずっと苦しみ続けています。

 残酷な表現だからと、はだしのゲンを子どもから遠ざけるだけでは駄目でしょう。子どもにとっては怖いと思うことも大切です。学校の教室など自由に手に取れる場所にあってほしいです。

  ■岩国市の無職高塚敏夫さん(69)
 図書館で日本語版と英日版の絵本のはだしのゲンを借りて読みました。原爆に遭った人ではないと理解できない部分はあるでしょうが、翻訳されたゲンを読むと、世界中の人々が被爆の実態に近づくことができるのではないかと思います。

 英日版の絵本の最後には、著者の中沢啓治さんが広島市内の小学校で講演した時に児童と撮った写真も掲載されています。その写真は平和の尊さを訴えてくるように思え、ほのぼのして心が温まりました。

  ■安芸高田市の主婦(50)
 戦争に反対したゲンのお父さんが警察に連れて行かれ暴行を受ける場面と、お姉さんが学校で非国民の子どもだからと先生に盗みを疑われる場面にショックを受けました。小学2年生の時です。「戦争はいけない」と言うことも許されない風潮に恐怖を感じました。その結果、あのような悲惨なことになってしまったと思いました。戦中、戦後の生活の理不尽さも知ることができます。子や孫世代につないでいきたい作品です。

(2023年8月29日朝刊掲載)

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