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社説・コラム

[A Book for Peace 森田裕美 この一冊] 「九月、東京の路上で」 加藤直樹著(ころから)

関東大震災 虐殺の記憶

 100年前の関東大震災直後、流言飛語を導火線にあまたの朝鮮人が虐殺された史実はよく知っているつもりでいた。ただ頭のどこかで、自分とは遠く隔たった昔の、蒙昧(もうまい)な人々が起こした事件のように捉えてもいた。

 本当にそうか。9年前刊行された本書を読み返し改めて問われた気がした。1世紀前を「いま」にぐっと引き寄せるノンフィクションである。

 東京で生まれ育った著者はジェノサイド(虐殺)の現場に立ち、「残響」を聞く。有名無名の人々がのこした手記や新聞記事、公的刊行物などの記述を丹念に拾い上げ、ルポの体裁で時系列に現場を再現した。

 「朝鮮人が井戸に毒を入れて回っている」…。巨大な破壊で恐怖と不安が渦巻く中、市井で飛び交い始めた不穏な流言は瞬く間に「異様な具体性を帯び」広がっていく。それを信じた人々が日本刀や鳶口(とびぐち)を手に「殺せ」と叫ぶ。自警団などによる残虐行為を止めようとする人はいない。殺された中には朝鮮人と間違われた日本人や中国人もいた。

 内面化された差別意識が、集団で暴走するさまにおののく。読むうちに、100年前の路上に立っている感覚になる。

 恐怖や不安にさらされた時、人はデマに流され愚行を犯す。いまも災害などのたびネット上には差別をまとったデマを見る。憎悪をあらわにする書き込みもある。根っこにあるのは排外主義だ。

 著者は関東大震災時の虐殺を記憶する意味を説く。「未来に繰り返させないために必要なのだ」と。本書が大事にしたのは、事実を「知る」こと以上に「感じる」ことだという。そのもくろみは成功している。

これも!

①吉村昭著「関東大震災」(文春文庫)
②辻野弥生著「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」(五月書房新社)

(2023年9月4日朝刊掲載)

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