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連載・特集

時の碑(いしぶみ) 土田ヒロミ「ヒロシマ・モニュメント」から <2> 住吉神社の松(広島市中区住吉町)

被爆者の命 救った逸話も

 江戸中期、1733年の勧請(かんじょう)に始まる広島市中区の住吉神社は、1945年8月6日の原爆被災で社殿が倒壊、焼失した。爆心地から1・3キロ。広島県神社誌などによると、バラックの仮社殿を経て52年に再建され、96年に現社殿に改築された。

 被爆から半世紀を経ての改築について、宮司の森脇宗彦さん(70)は「あれはうちの神社の『戦後復興』だった」と語る。「最初の再建は、十分な建材もそろわない時代。周囲の街にやっと追い付いた」

 境内に、被爆を生き延びた2本のクロマツがある。本川の護岸に沿った社殿の西側に生え、国道2号が通る新住吉橋の上からも見える。広島市の被爆樹木リストに登録されている。

 写真家の土田ヒロミさん(83)が79年に撮影したそのうちの1本は、本川の川面へ大きな枝が張り出している。そばには簡易な造りの倉庫。森脇さんは「祭りの道具などを入れていた。夏祭りの出店準備で先入りした、お化け屋敷の興行師が泊まったこともあったかな」と記憶をたどる。

 93年ごろ、一帯の本川で高潮対策のため、堤防のかさ上げ工事が本格化した。社殿の移動が必要となり、改築が動き出す。森脇さんは父を継いで既に宮司に就いており、一大事業に奔走。被爆松をどうするかも難題だったが、「いったん移植し、養生して、これまで通り境内で守り伝えることにした。大切に思われる方の逸話も知っていたのでね」。

 その逸話に森脇さんが触れたのは今から40年ほど前というから、土田さんが最初に撮影した時期に近い。夏祭りの頃、境内の川岸に腰かけてじっと動かない高齢の女性がいた。森脇さんが声をかけたところ、「私は住吉さんの松のおかげで生きている」と、原爆に被災した当時のことを語った。熱さのあまり川に飛び込み、流されたが、住吉神社の脇で川面に伸びていた松の枝に布切れをかけ、岸に上がって助かったのだという。

 被爆松は2本とも、社殿の改築に合わせて元の場所近くに植え直された。2019年の写真では、変わらず樹勢盛んな姿が見える。今も青々とした葉を茂らせている。(編集委員・道面雅量)

 被爆地広島の姿をカメラで定点記録し、40年の歳月を画像に刻んだ土田ヒロミさんの連作「ヒロシマ・モニュメント」を月1回、2枚組みで紹介しています。次回は10月7日に掲載します。

(2023年9月2日朝刊掲載)

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