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社説・コラム

『今を読む』 国連事務次長 中満泉(なかみついずみ) AI兵器の規制

原爆開発の教訓 忘れるな

 評判の映画「オッペンハイマー」を見た。マッカーシズム(共産主義者弾圧)渦中の米国で、「原爆の父」である科学者の事実上の公職追放を決定した1954年の保安聴聞会でのやりとりを軸に、彼の人生とその中核を占めた原爆開発の物語と、それがもたらした帰結への苦悩が描かれる。

 オッペンハイマーは戦後、核兵器の国際管理を呼びかけ水爆開発に反対するなど、核軍縮への声を上げた科学者の一人ともなった。後年、インドの古典から「我は死神なり、世界の破壊者なり」という言葉を引用して後悔を表したという。

 日本ではまだ公開されていないようだが、原爆投下後の広島・長崎が一度も登場しないことに批判があるという。私自身は、この映画は加害者と被害者という構図を大きく超えて、人間と人類社会が内包するとてつもない悲劇と矛盾を冷徹に描いていると感じた。

 進行中の戦争に勝利するという「国家の利益」のため、「熱核暴走」によって核爆発が全世界を崩壊させる可能性がゼロではない、との科学者たちの警告にもかかわらず、45年7月、初の核実験が行われたという事実に戦慄(せんりつ)した。

 映画の評判と、生成AI「チャットGPT」のここ数カ月の進展がもたらす衝撃の相乗効果だろうか、AIと、初の核実験を境にその後の世界が二度と同じでなくなったような「オッペンハイマー的瞬間」についての論調が盛んになった。

 従来の科学技術とは異なり、ディープラーニング(深層学習)によって自ら進化するAIは、いずれ人間の知能を超える「シンギュラリティー(技術的特異点)」に到達すると言われている。「オッペンハイマー的瞬間」に科学者はどう対峙(たいじ)すべきかという議論だ。

 さらに言えば、これはAI分野に限らない。さまざまなバイオ技術、ナノテクノロジー、量子コンピューターなども、私たちの社会や安全保障を根本的に変えるだろう。新たな科学技術がもたらす利益は計り知れないほど大きいが、安保分野では、核兵器の誕生と同じような決定的な影響があるのは間違いない。

 AI技術が将来の軍事バランスの優劣を左右するだろうし、戦争の在り方もすでに大きく変わりつつある。近未来の戦争は、フェイクニュースなどを駆使しながらAIが仕掛ける大規模サイバー攻撃に始まり、AIを搭載したロボット兵器やドローンと人間の兵士が混在した状況で、AIに支えられた指揮系統によって統率されるのだろう。

 AIが核兵器指揮系統を管理することになるとしたら、誤作動による核戦争を防ぎ、世界を救ったと言われる旧ソ連戦略ロケット軍のペトロフ中佐のような判断を、AIはするだろうか。そして、新たな軍拡競争はすでに始まっている。

 国際社会は、科学技術の進展とともに増加する戦争における人間の犠牲を減らすために、国際人道法などの国際法・規範を作ってきた。戦争を防げなくとも、武力行使はルールに基づき行われなければならない。戦闘員と非戦闘員は厳格に区別され、市民は保護されなければならない。

 そして、戦闘員たる人間が下した判断には説明責任が要求され、国際人道法違反の場合は責任を問われる。AIが戦場で武力行使の判断を下し、人間の命を奪う決定をすることになれば、法の支配に基づく私たちの世界の秩序が根本から揺らぐ。

 国家安全保障のため、民主主義体制を守るために競合相手より先にAI兵器を完成させなければならないとの主張は、原爆開発の時と全く同じ論理だ。破滅的な兵器を持ってしまってからのリスクがいかに大きいか、そして軍縮努力がいかに困難であるかを、私たちは核兵器で知っている。

 グテレス国連事務総長は7月に発表した「新たな平和への課題」の中で、AIの平和利用を促進するとともに、乱用を制限する新たな国際機関の設置を提言した。私たちはこのための準備作業を始めている。同時に、人間の関与なしに機械が武力行使の決定を下す「自律型殺りく兵器」の規制のため、2026年までに法的拘束力をもつ国際合意を交渉・締結することを加盟国に求めた。

 近視眼的な利益ではなく、人類共通の利益を考えるべき時代を私たちは生きている。人類の将来にわたる生存のために。

 1963年東京都生まれ。早稲田大卒、米ジョージタウン大修士。89年に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に入る。一橋大教授(2005~08年)を経て、国連の平和維持活動(PKO)局や国連開発計画(UNDP)幹部を歴任した。17年から軍縮担当上級代表(事務次長)。

(2023年9月5日朝刊掲載)

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