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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 特別論説委員 宮崎智三 原発処理水の例え話

科学的な安全性 一体どこに

 聞き慣れない言葉が多く出ると頭の働きが鈍くなりがちだ。そんな場合、何かに例えて考えれば本質を見失わずに済むことがある。

 東京電力福島第1原発の処理水を巡る現状に応用できないか。こんな例え話にしてみた。

    ◇

 動物の飼育施設「トーデン」で史上最悪のアクシデントが起き、汚物(ふん尿)による高濃度の汚染水が発生するようになった。

 壁を設けて地下水の流入を少しは減らしたものの、抜本的対策には程遠い。汚染水は毎日約90トン(昨年度)ずつ増えている。

 浄化装置で大半の動物の汚物は取り除ける。ただ、猫の汚物だけは除去できない。それでも「薄めて海に流せば科学的には安全だ」とトーデンは言う。国際機関の「お墨付き」も得たそうだ。

 あろうことか、隣の国が理不尽な輸入禁止や嫌がらせをしてきた。自分たちも猫の汚物を大量に流しているにもかかわらず、だ。

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 ざっと、こんな感じだろう。

 猫の汚物とはトリチウムという放射性物質だ。健康などへの影響は見つかっていないと東電や政府は説明している。だから安全とは言い切れまい。科学的調査を尽くした上で安全性を確認したわけではないからだ。

 厄介なことに、多核種除去設備(ALPS)でも取り除けない放射性物質はトリチウムだけではない。「炭素14」も除去できない。

 東電は、自然界にも人体にも炭素14は存在していると強調する。だから大丈夫と言いたいようだ。

 放射性物質は、遺伝子を傷つけける点で毒と言えよう。人為的に環境に拡散させれば、その分リスクは増す。しかも炭素14の半減期は5700年。政府が責任を持つと言う歳月の100倍も長い。

 さらにALPSでも、わずかに残ってしまう放射性物質もある。セシウム137やストロンチウム90などだ。どちらも通常の原発排水にはほとんど含まれていない。ストロンチウム90は体内に入ると骨に蓄積、放射線を出し続ける。

 それらを含んだ、事故原発に由来する汚染水を浄化して海に流すのは今回が世界で初めてだという。広島、長崎、ビキニの核被害を身をもって知る国として、ふさわしい振る舞いだろうか。

 濃度を国際基準より薄めても、放射性物質が含まれている以上、海に流せば、環境を放射能で汚染することになる。

 緊急避難的な放出ならまだしも流し続ける期間は数十年に及ぶ。流す中には、半減期が1570万年のヨウ素129も含まれる見込みだ。気の遠くなるような時間が過ぎないと半分まで減らない。そんな放射性物質の安全性に責任を負える人間がいるのだろうか。

 科学的に安全だと、はっきりさせるには、放射性物質を種類ごとに精査することが前提になる。薄めるとはいえ、何十年も積み重ねれば、一体どのぐらいの量を海に流すことになるのか。環境や生き物への影響はどのぐらいか。それらを計算に入れないと、リスクの有無や大きさ、つまり科学的な安全性については議論できない。

 国際原子力機関(IAEA)の「お墨付き」も、極論すれば、濃度に焦点を当てて、基準を下回るから認めただけだろう。放射性物質の種類ごとに特性や、海洋放出される総量を踏まえ、リスクを精査した末の結論ではない。

 原発事故の処理策が放射能汚染につながるのでは、最善とは到底言えない。海洋放出しか道がなかったわけではないのに、なぜ突き進んだのか。地下水の流入阻止策を講じず、他の選択肢を十分に検討しなかったことを政府は反省する必要がある。

 被爆国としてできること、すべきことは何か。人知れず垂れ流されてきたトリチウムに光が当たった今回の騒動を、改めて考えるきっかけにしなければならない。

 まずは、トリチウムを含む放射性物質の放出を全てやめる。少なくとも総量規制に踏み切る。それを他の国にも呼びかける―。

 他国が出しているから自分たちも出す。そんな姿勢では、戦後積み上げてきた被爆国としての努力を自ら踏みにじることになる。放射線の影響を軽んじてはいけないと知っているからこそ、核兵器廃絶を世界に訴えてきたはずだ。その道を自ら外れる重大さを、岸田政権は認識すべきである。

(2023年9月7日朝刊掲載)

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