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社説・コラム

『今を読む』 大分大減災・復興デザイン教育研究センター助教 岩佐佳哉(いわさよしや) 枕崎台風の教訓

土石流は繰り返し襲う

 広島県では土砂災害が繰り返し起きてきた。近年では1999年の6・29豪雨、2014年の広島土砂災害、そして18年の西日本豪雨でも大きな被害を受けた。

 これらの災害では山地の斜面が豪雨によって崩れ、土石流として山麓まで流れた。特に西日本豪雨では広島市から笠岡市までの範囲で約8千の土石流が発生し、多数の死者が生じた。

 広島県における土砂災害の歴史を振り返ると、明治以降で最も多くの死者が生じた土砂災害が、1945年9月17日の枕崎台風である。この春まで広島大大学院人間社会科学研究科に在籍した私は、その調査を進め、教訓をどう現代に生かすかを考えてきた。

 枕崎台風については、特に現在の廿日市市にあった大野陸軍病院や、呉市内における被害が取り上げられてきた。柳田邦男氏のノンフィクション「空白の天気図」でも知られる。

 しかし広島に原爆が投下され、終戦を迎えた直後に広島を襲った枕崎台風について、具体的にどのような場所で土砂災害の被害が生じていたのか、その要因となった土石流はどこで、どのくらいの数が生じていたのかは、分かっていなかった。

 そこで枕崎台風の土石流や被害について地図化をすることで復元を試みた。具体的には、災害後に撮影された多数の空中写真から、枕崎台風による土石流の位置や広がりを把握するとともに、市町村史を調べることで死者の数やその位置を示した。

 枕崎台風では、大竹市から福山市までの範囲で、少なくとも約6600カ所で土石流が発生していた。その数は、西日本豪雨にも匹敵する。降水量が多かったことに加え、戦時中に山の木や下草を燃料などに使用していたため、現在よりも山に草木が少なかったことも土石流が数多く発生した要因と考えられる。

 これまで把握されていなかった死者が多くいたことも、明らかになった。広島県砂防災害史によると死者は2012人とされてきたが、市町村別に再検討したところ従来より157人多い2169人に上る。例えば、従来は死者数が記されていなかった現在の東広島市域でも13人が死亡していた。

 死者の9割が土石流によるものだった。多くは江田島市や呉市、廿日市市など広島湾の沿岸地域である。死者が生じた位置と地形の関係を見ると、土石流による死者のほとんどが沖積錐(ちゅうせきすい)と呼ばれる、山麓部に土石流が繰り返し堆積してできた地形に位置していた。

 近年の災害と重ね合わせると、土砂災害の被害を受ける場所には地形的な共通性がある。

 14年に大きな被害が生じた広島市安佐南区の八木・緑井地区も、沖積錐に当たる。このような地形は過去に繰り返し土石流が発生した証拠であるので、今後も土石流による災害が発生する可能性があると言える。

 さらに枕崎台風の土石流を西日本豪雨のものと重ね合わせて比較すると、土石流が繰り返し襲っている地区があることも分かった。

 こうした危険な場所は、おおむねハザードマップに土砂災害警戒区域(土石流)として示されている。実際、枕崎台風の土石流による死者が出た場所の87%が現在の土砂災害警戒区域に位置しており、当たり前のことだが、ハザードマップで危険とされた場所では実際に災害が起こり得る。

 豪雨の頻度は、年々高まる傾向にある。ここ数年、日本では土砂災害の死者数も増加傾向にあり、もはや誰もが、ひとごとではいられない。

 ハザードマップを参照して、自分が暮らす場所が災害に対して危険かどうかを認識すること。これから住居を移そうとする場合には危険な場所をできるだけ避けること。危険な場所に住んでいる場合にはできるだけ被害を減らす行動をとること。それらが命を守るために重要である。

 西日本豪雨では、過去の被害を記した石碑にも注目が集まり、過去の教訓を後世に伝えることの重要性が再認識された。過去の災害について明らかにし、文字化や地図化をすることで次世代へ伝えていくことは、将来の防災・減災を考える際の教訓として生きていくだろう。

 1995年岡山市生まれ。2023年に広島大大学院人間社会科学研究科博士課程修了、博士号(学術)取得。同年現職。自然地理学を専門とし、表層崩壊の発生履歴や熊本地震をもたらした活断層の活動履歴などを研究。

(2023年9月9日朝刊掲載)

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