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遺品 無言の証人

[無言の証人] 娘にかけてあったカーテン

学校で倒れた子の上に

 カーテンより「暗幕」と言った方がしっくりくるかもしれない。縦1・8メートル、横1・4メートルほどの黒い布。広島に原爆が投下された後、大やけどの負傷者たちが次々と押し寄せた己斐国民学校(現広島市西区)で横たわる女学生の上にかけてあった。

 女学生は、県立広島第一高等女学校(第一県女、現皆実高)1年生だった大方弘子さん=当時(13)。学徒動員で建物疎開作業に駆り出され、爆心地から約800メートルの土橋町付近で、熱線と放射線を浴びた。

 広島市内に下宿して通学していた弘子さんの実家は、佐伯郡湯来町(現佐伯区)にあった。市内の異変を聞いた父親の仁六(にろく)さんは、湯来町から自転車で市内に入り、娘を捜し回ったという。夕方たどり着いた己斐国民学校で、大やけどで見分けがつかない負傷者の中から、ズックの記名で弘子さんを発見する。自宅に連れ帰ろうとするも、弘子さんはそのまま息を引き取った。

 そのとき弘子さんにかけてあったのが学校のものとみられるこの布である。瀕死(ひんし)の少女に胸を痛め誰かがかけてくれたのだろうか。

 被爆による傷みか経年劣化か、ところどころ茶色っぽく変色した大きな布を、仁六さんは大事に保管していた。1977年、仁六さんのおいが原爆資料館に寄贈した。(森田裕美)

(2023年9月12日朝刊掲載)

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