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被爆伝える 紙芝居の力 双子の弟亡くした竹田さんモデル 山口市原爆被害者の会制作 16日上演

「今の子に響くように」

 山口市原爆被害者の会が、14歳の時に広島で被爆し、双子の弟を亡くした元県被団協会長の竹田国康さん(92)=山口市小郡下郷=をモデルに紙芝居を作った。被爆者の高齢化が進み、リアルな体験を語れる会員が減る中、当時の惨状を子どもたちに想像してもらえるよう工夫したという。(山下美波)

 広島二中(現観音高)2年だった竹田さんは、学徒動員で広島駅北側(現広島市東区)の東練兵場に集合した際に被爆し顔や腕にやけどを負った。病気で1年留年して修道中1年だった弟の充稔さんは、土手町(現南区)に住む伯父にカボチャを届けに行って被爆。全身をやけどし、約2カ月後に「死にたくない」と言い残して亡くなった。

 紙芝居の題名は「充くんは生きたかった―康おじいちゃんの話―」。同会の永野和代会長(79)が今年に入って制作を提案し、絵本の出版経験がある原田満里子さん(89)が絵を担当した。

 永野会長は1歳の時に広島で被爆し、当時の記憶はない。他の会員も交えて打ち合わせを重ね、ストーリーやセリフ、絵を修正して8月下旬に完成した。暴力ではなく対話で争いを解決することの大切さを感じてもらいたいと、現代の場面に中学生同士のけんかのエピソードも盛り込んだ。

 同会は山口市道場門前の市民活動支援センターさぽらんてで原爆展を開催中。今月9日、集まった約10人の前で初めて紙芝居を披露した。同市東山の福島久嘉さん(86)は「体験の生々しさが伝わる」と話した。

 原爆展は17日まで。紙芝居は16日午後2時からも上演する。無料。

 同会は今後、学校などから要望があれば、出向いて紙芝居を見てもらうという。永野会長は「どうやったら今の子どもたちに響くかを重視した。被爆の惨状を繰り返さないために何ができるかを考えてほしい」と話している。同会☎083(928)5848。

「核兵器投下の影響考えて」

 紙芝居のモデルとなった竹田国康さんはウクライナ情勢を巡る核使用を懸念し、各国は外交努力で衝突を回避すべきだと強調する。「核兵器が投下されたらどうなるか考えてほしい」と力を込める。

 1945年8月6日。広島二中の2年生はイモ畑になっていた東練兵場で草取りをするはずだった。整列中、空から落ちてくるパラシュートを見た。何もかもが不足した時代。「あの布がほしいと思った瞬間、地響きとともに木づちでガンガンと打たれたようだった」

 パラシュートは米軍が原爆と一緒に落とした計測器に着けられていた。街は炎に包まれた。前日まで一緒に建物疎開作業をしていた広島二中の1年生は「全滅」した。

 広島で生まれた。家族と東京で4年ほど暮らし、古里に戻ったばかりだった。「くにちゃん、みっちゃん」と呼ばれ、双子の弟とは仲が良かった。被爆死した弟の遺体を母と焼いた。東京では低空飛行で機銃掃射する米軍機のパイロットが笑う姿を見たこともある。「戦争は人間じゃなくなる」

 座右の銘は「愛は知の極致」。相手を知ることで愛情は増すと考える。体調を理由に15年ほど前から被爆体験の証言活動は控えていた。「再開しようかな」と思う。

(2023年9月13日朝刊掲載)

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